2014年1月25日土曜日

アジャシャンティ「基本実践」

つづきです。
ブログ「Down The Rabbit Hole」http://rabbithole0.blogspot.jp/2013/08/blog-post_10.htmlより


基本実践1】すべてをあるがままに
「スピリチュアルの教えをどのように活用すればいいの?」「目覚めのために 実際どうすればいいの?」
このような疑問に対する答えはスピリチュアルの教えの中で何より重要なところなので、今回は最も基本的な実践方法を3つお話ししたいと思います。

1つ目の実践方法は静かにじっとしていること
これはとてもシンプルだけれど、非常に深く、自分で実践することが大変重要なものなんですよ。
静かにじっとしていることとはどういう意味でしょうか?
昔から長い間ずっと言われ続けている、非常にシンプルな教えですね。
これをどんな意味に受け取るかは人によってさまざまですが、私の場合は「すべてを あるがままにしている」ということを具体的な方法として教えています。

「静かにじっとしていること」この教えを実践しようとすると多くの人は、たとえば瞑想をする場合、思考を落ち着けようとしたり、静けさや平穏が感じられる場を探したり、何らかの修業のように取り組むでしょう。
自分の内面をコントロールしようとする感じですよね。私はそんなやり方を「操作」と呼んでいます。
過激な言い方に聞こえるかもしれませんが、まさに「操作」なのです。
「静かにじっとしていること」この教えを実践するためには、真の静けさを見つけなくてはいけません。
真の静けさは意図的に作り出せるものではないのですよ。どのようなコントロールや操作をしても決して見つけられないのです。
真の静けさは私たちの自然な状態なのですから、作り出す必要などないのですよ。
すでに ここに在るから気付いていないだけなのです。
私たちの本質がすでに完全な静けさで完全な平穏なのですが、思考に囚われていたらそれに気付けないでしょう。
エゴを自分と混同していると静けさは作り出さなければならないものだと思い込んでしまうのです。
前回の私の教えの基本原理についてのビデオでエゴは頭の中で創られた単なる思考パターンだとお話ししましたよね。
エゴとは私たちの中で起こっている現象であり私たちはエゴではないのだということが分かり始めるとまっさらな空間が現れます。
エゴとは基本的に繰り返しの思考パターンであり、そういう意味では私たちの中の雑音なんですね。
静けさの中に鳴り響いている雑音なのです。そして静けさは私たちの本質が持つ特性です。
私たちの本質であるスピリットは言葉で描写できず色も形もないのですがとてもイキイキとした存在です。
私も あなたも 誰でもみんな本質はスピリットなんですよ。そしてスピリットは、すでに、いつでも静かにじっとしているのです。
すべてをあるがままにしている」というのはスピリットの特性のひとつ、スピリットが やっていることのひとつです。
とは言っても、それは実は「行為」と呼べるものではありません。すべてをあるがままにしているためにあなたは何も「する」必要がないのです。それどころか、「行為」は、やめなくてはいけません。絶え間なくいつもいつも、何かを「しよう」「しよう」とする衝動を手放すのです。あらゆる「行為」は「すべてをあるがままにしている」ことに反することなのですから。
「すべてをあるがままにしている」ことができていない限り、エゴ意識から目覚めることがとても難しくなるのですよ。
ですから、「すべてをあるがままにしている」という、ごく基本的な教えは非常に重要なのです。
なかなか実践できない人が多いでしょう。すべてをありのままにしていることをエゴは恐れますからね。
エゴはすべてをあるがままにしていたら「大変なことが起こってしまう」あるいは「一切何も起こらなくなってしまう」
そう思っているのです。でも実際にはその恐れは両方ともハズレなんですよ。すべてをあるがままにしているとすばらしいことが起こり始めるのです。
あなたが今ここで私が話しているのを見たり聞いたりしながら頭で分析したりせず過去に学んだ内容と比較したりせず、ただ見るまま、聞くままに任せてみてください。
賛同したり拒絶したりするのは後にして、今この瞬間、ただ見るまま聞くままに完全に任せていることができますか?
そしたら どうなりますか?
すべてをあるがままにしているというのは、何かを「しよう」とすることではありません。
さっきも言ったように、すべてをあるがままに「しよう」とすると逆効果なのです。「しよう」として出来ることではありません。
ただ ありのまま安らいでいることです。すべてをあるがままにしているという教えは誤った解釈をされていることもとても多いのです。
無気力になるかのような意味に捉えたり、物事にうまく対処できなくなると考えて不安に思うのですね。
しかし、そのような不安を抱くということは、教えそのものを誤解しているということです。
すべてをあるがままにしていることは、最終目的ではなく、真実に生きるための土台なのですよ。
この土台があってこそ、人生の一瞬一瞬や毎日の生活の中で、賢明で適切な言動が「起こってくる」のです。
すべてをあるがままにしている。その状態になって初めて、エゴ意識から脱出できるのであって、いまここの出来事に抵抗して何とかしようとしている限り、条件付けされたエゴ意識から抜け出すことは決して出来ないのですよ。
すべてをありのままにしているという教えはエゴではなくスピリットによる鋭い洞察や適切で賢明な言動が「起こってくる」ための土台を培うようなものなのです
また私はすべてをありのままにしているということを「瞑想」としても教えています。
瞑想だけではなく、何にでも適用できるんですよ。
試してみれば人生のいろんな出来事に対して今まで想像もできなかったような賢明な対処ができるようになるでしょう。
しかし瞑想と言えば、やはり、とても多くの人々が自分の内側で何かをコントロールをしたり操作するようなテクニックを使っていますよね。スピリチュアリティーの意義は、ありのままの自然な状態、つまり私たちの本質に目覚めることですが、そのように何かをコントロールしたり、操作をするような瞑想法では目覚めることは出来ないのですよ。
不自然なことをやって、自然な状態が得られることはありません。
すべてをあるがままに、自然なままにしていることによって、私たちの本質はいまここに現れるのです。
時間は関係ありません。習得するべきものもないし、上達させるべきものもありません。必要なのは確かめることです。
みなさんに考えていただきたいのはここの部分なんです。
この1番目の実践方法どおり、すべてを ありのままにしているとき、「どうなるのだろう?」と確かめてください。
あなたが静かに座って瞑想しているとき「いま、すべてをあるがままにしていてどうなるのだろうか?」と確かめてください。
内側でどんな変化が起こりますか?何が見えてきますか?
どうなるのかだけではなく、「いま本当に すべてをあるがままにしているかな?」とも確かめてください。
なぜなら静けさが現れていてもそのように確認することで自分が微妙に何かを握りしめたりコントロールしようとしている微細な動きに気付いてさらに深い安らぎが訪れることがあるのです。
ですから、この教えを達成するべき目的というよりも問いかけに使ってください。
すべてをあるがままにしている状態を達成しようとしないことです。「しよう」とするということはこの教えをきちんと理解していないということになりますよ。
この教えによって、自分の状態を確かめてください。それが瞑想になるのです。
すべてをあるがままにしていることは、エゴが完全に手放される最も深い瞑想です。
あなたの思考も気分も感情もいまこの瞬間のすべてを完全にあるがままにしていることはできますか?そうするとどうなりますか?
初めに話したことの繰り返しになりますが、すべてをあるがままにしていることで、あなた本来の自然な状態である静けさが現れるのです。これが「静かにじっとしていること」という教えに帰結しますね。
すべてをあるがままにしていることが静かにじっとしているための方法、そして静けさに気付いて本当の自分に根付くための方法なのです。
静けさは、私たちの本質の主な特性です。「そうなろう」としなければならないものではなく、文字どおり、私たちの一部なのですよ。
以上が1つ目の実践方法です。

【基本実践2】私は誰? 
2つめは、これです。問うこと
さきほど話した1つめの実践方法は完全にリラックスした状態になるための誘導のようなものでしたが2つめの「問うこと」は、少し自発的・積極的になる必要がありますよ。
愛や真実と繋がるためのものであり、リアリティーへの切望であり、私の教えの中でもより大きな動きを伴う部分です。
私は誰? 私とは何?」これが私たちにとって究極的で最も深い問いです。
私たちがエゴの夢から目覚めるまで、何よりもしっかりと取り組むべき重要な問いなんですよ。
一方、「私は何を求めているの?」「私はどうなりたいの?」このような疑問は「私は誰? 私とは何?」という問いほど重要なことではないのです。
なぜなら、そんなふうに何かを求めたり探したりしているのは、いつも「私」ですよね。
「私」の正体が何なのか知らないまま、その他のことが本当に分かるわけがないでしょう。
いまここでこの画面を見て、この話を聞いているあなた、その「あなた」として生きている存在。
それが何なのか、本当に分かっていないと、人生で最もすばらしい贈り物を受け取れないことになるのですよ。
ですから、「私は誰? 私とは何?」この問いは私の教えの中でも最も重要な部分です。
他のどんな教えについても言えることですが「どのように」実践するかもとても大切なポイントですよ。
これは単に頭で考えられるようなことではないのです。
この問いに対して、頭であれこれ考えてどこかで見聞きしたイメージを引っ張り出してきたりしたら、まと外れなことになってしまいます。そんなことをしても、思考に浸ることになるだけですからね。
「私は誰? 私とは何?」この問いは、あなたをエゴが創り上げている夢の世界から脱出させる手段なのです
これはとてもシンプルなのですがかなりの着実さが必要です。
そして「どのように」問うかをきっちりと理解しておかなければなりません。
私とは何か?」こう問うとき、しっかりと自分を見てください。
「『私』と言っているものは何なんだろう?」
ほとんどの人にはここで、いろんな考えが浮かんでくるでしょう。
記憶、身元、自己イメージ、性別、世代、年齢、性格、鏡に映る姿などすべては頭の中にあるものですね。
でも、もっとしっかりと深く追求してみてください。ここで いますぐに。 
自分だと思っているものはすべて単に「思っている」だけだと分かるでしょう。
思考の産物ですね。その思考は意識の中で起こっています。あたなの中で起こっているのですからそれは「あなた」ではないのです。
あなたは 思考よりも言ってみれば一歩手前にあるということですよ。
私たちは「私の思い」とか、「私は考えている」とか、「こんな考えが私に浮かんだ」などと言いますよね。
「私」と「思考」は同じものではないということですよね。
この問いは、意識と思考の狭間の夢うつつ状態や自己イメージから私たちを目覚めさせてくれるのです。
「私とは何なのか?」と問うことで自分は思考よりももっと根底的でより親密なものだと気付くでしょう。
「私」だと思っていたイメージを除外すると何が残りますか?
何らかの感情や感覚があるという人もいるでしょう。
しかし、感情や感覚もあなたのすぐ側で起こっている現象に過ぎず、あなたという意識によって感知されているものなんですよ。
あなたが誰なのか・何なのかを知る手がかりにはなりません。
では、さらに深く探ってみましょう。
「私の中で、思考や感情や感覚が起こっているのなら、その『私』って何なの?」「いまこの話を見聞きしている『私』は いったい何?」
思考や感情や感覚をアテにしなければあなたは誰なのでしょうか?
瞑想のように静かにこの問いかけをしてください。
するとムダにあれこれ考えたりせず、自分という直接体験から答えを見つけることになるでしょう。
それが、この問いの大きな力なのです。
覚えておいてください。ここがいちばん大切なポイントですよ。あなたの最も深いところを探らなければなりません。
頭で考えて答えを出そうとしないことがこの教えを実践する上で非常に大切です。
この問いによって思考や感情から離れて自分という意識の奥底へ、深く深く入っていくことです。
「私は頭の中に浮かぶ思いや考えではない。思考は刷り込まれた条件付けに過ぎない。私は感情や感覚でもない。これらはすべて広大な私の中で起こっているだけだ。それなら、私はいったい何なの?」深く誠実にしっかり問うと静けさに辿り着きます。
言葉に出来るような答えは見つからないでしょう。
もしも、言葉に出来る答えが出てきたら、それは間違いですよ。答えは意識の次元だけに現れるのですから。
思考や感情が自分ではないと分かり始めると、自分は思考や感情を内包している「意識」なのだと気付いてくるでしょう。これが、この問いの大きな力です。
もちろん、「意識」というのも言葉ですから、「意識」という言葉にとらわれているとこの教えの全てを根本的に誤解してしまうことになりますよ。
自分という直接体験によって知る「私」は言葉を遥かに超越しているのですが、ここでは何らかの言葉で説明しなくてはいけないので「意識」や「スピリット」という言葉を使っているだけです。
私たちは描写できるものではありません。形も大きさも香りもなく言葉にできないけれど確かに存在しているので私は「意識」や「スピリット」と呼んでいるのです。
意識がいまこの瞬間も存在していて機能していることを否定できないでしょう?
仮にあなたが「いまここに意識など存在しない」と否定したとしても私の話を聞いて否定したという事実が意識がいまここに存在するという証拠になりますね。
そのようなことは意識なしには起こりえないことですから。
「私は誰? 私とは何?」このように問うことで、あなたは考えるのではなく、逆に思考から抜け出すのです。
この点が非常に重要ですね。そして、その答えをあなたはいますぐ知ることが出来るんですよ。
むしろ、いましか知ることが出来ないのです。
スピリチュアルの教えを何十年も学んでいる人でもまったくの初心者でも同じです。どれだけ長く学んでいるかなど関係ないのです。
自分の本質への目覚めはいつでもいまこの瞬間、いまこの瞬間だけに可能なのです。
目覚めは長年の修業によって起こるのではなくいまここの深い問いによって起こるのです。
他の問い方も有効なんですよ。私が勧めているもうひとつの問いはこれです。
これは本当に真実だろうか?
エゴ意識はいつもいろいろ考えたり想像したりしてそんな真実でもない信念や意見をもとに行動しますよね。
信念や意見は、結局単なる信念であり単なる意見です。
どちらも頭の中の思考であって真実ではありません。
ですが、頭の中の思考を本当に価値のある真実だと信じてしまうと私たちは幻想の世界で生きることになるのです。
私たちの思考は、時には実用的で便利な場合もあるかもしれませんが、究極の真実は含まれていません。
あなたの意見も信念もひとつとして究極的には真実でも現実でもないのです。
だからといって、信念や意見を持つなというわけでありませんよ。
信念や意見を持つことは仕方ないでしょう。
でも、どんな信念も意見も真実ではないと知ることによってとても自由になれるのです
エゴ意識は、「意見を持たなくてはいけない」とか、「信念を持つべきだ」などと言って思考に執着しているでしょう。
信念や考えや意見を基盤にした世界でしかエゴ意識は存続できないのです。信念や考えや意見はエゴ意識で生きる人々の指針のようなものです。自分や他人に対する信念や考えや意見がエゴ意識による夢遊状態の実体とも言えるでしょう。
そしてそれが、あなたを本当の自分やあらゆる存在の真実、存在そのものの真実から引き離すのです。
「これは本当に真実だろうか?」この問いはどんな状況でも使えるのですよ。
「この考えは本当に真実だろうか?」「これは本当に確かだろうか?単に思い込みだったり、信じているだけじゃない?」
そう見抜いて、別の信念や意見にもとらわれなければどうなりますか?
自分の考えであっても、他のどんな意見であっても、あらゆる考え、信念、評価、不満などが真実ではないと見抜くことはできますか?
これは、苦悩や葛藤から自由になって、愛や思いやりや感謝に満ちた、まったく新しい生き方にシフトするために非常に重要なので
すべての人にお勧めしたいことです。愛、思いやり、感謝、そして、どんな思考も遥かに超越する叡智。
問うことによって、そこへアクセスできるのです。さきほど説明したように、シンプルにしっかりと問いかけるのですよ。

【基本実践3】意識的に生きる
3つめは、意識的に生きること
意識的に生きることは、基本原理で話した「目覚めた価値観」と関わってきます。簡単におさらいをしましょう。
エゴ意識の価値観は、目覚めた価値観とは違って、分離意識 つまり、基本的に「恐れ」が土台になっています。 
エゴの世界観では、自分は、世界や他人とはバラバラで孤独で、広大無限な宇宙の中のとてもちっぽけな存在なので、根っこに「恐れ」があるのですね。
ですからエゴ意識は、ほとんど自分では気付いていなくても分離を土台にした価値観を持っているのです。
エゴは「対立」にも価値を置いているんですよ。自分が対立を重視しているなんて、思ってもいないエゴも多いでしょうけど事実そうなのです。
対立に価値を感じているから、被害者意識を持ったり、人を批判したりするわけですね。
そして エゴは、コントロールすることも重視していてコントロールを手放すことを非常に恐れています。
もしコントロールを手放したら、望み通りにいかなくなったり、安全ではなくなると思っているのです。このようにエゴは分離意識に基づいた物事や考え、信念に価値を置いています。
いま話しているエゴの価値観は、道徳的な価値基準というわけではなくただ、エゴ意識そのものが、重要だ・必要だと感じて握りしめているものですよ。一方、目覚めた意識の価値観はエゴ意識とは対照的です。
繰り返しますが、道徳的な価値基準ではなく、目覚めた意識、つまり意識的なスピリットそのものが何を重要だと感じているかということですよ。
意識的なスピリットは、「真実」に大きな価値を置いています。どんな状況でも、どんなことについても、何が本当に現実なのか、何が本当に真実なのかを重視するのです。
自分の考えを主張したり、議論に勝とうとしたりしません。ただ、何が本当に現実で何が本当に真実なのか。これは、目覚めたスピリットがとても大切にしていることです。意識的なスピリットは、「調和」も尊重しています。
あらゆる存在の本質が同じスピリットであり、すべてが究極的にはひとつであることを意識的なスピリットは知っています。
この洞察があるから調和をとても尊重するのです。同時に、「自由」を尊重します。自分だけではなく、すべての存在の自由です。
つまり、意識的なスピリットは、誰のことも、何に対しても、批判したりコントロールしたり、支配しようとしたりしません。
すべての存在が自由であることを尊重しています。
それから 「平和」。もし人々が口先だけではなく、本当に平和を尊重していたら、この世界に平和を創り出すでしょう。
でも実際は、平和を尊重するというのは建前だけで、行動が伴っていません。
それは人々が、自分の本質に気付いていないからなんですよ。
意識的なスピリットとして、自分の本質に目覚めたとき初めて、私たちは自然に本当に平和を尊重するようになるのです。
平和は私たちの本質にもともと備わっている特性なのですから。
そして 「感謝」。人生や存在、すべての人や物に対する感謝。あらゆるすべてが、ありのままであることへの感謝。
意識的なスピリットは幸せになるために何も変える必要はなく、すべてはそのままでいいのです。
想像してみてください。すべてがそのまま・ありのままで幸せなのですよ。
エゴの視点から見ると、幸せになるためには、いろんなことが変わらなければならいでしょう。
エゴは「過去を変えたい」「もちろん現在の状況も変えたい」「未来だって変えたい」などと言って、あらゆることが変わってくれたら幸せになれるかも...と思っているのです。
しかし、スピリットは、もともと幸せと感謝に満ちていて、ありのままに感謝し、ありのままの人生と存在そのものに価値を感じているのです。
スピリットはもちろん「愛」にも価値を置いています。愛は調和を実体験として知ることで自然と生まれるものです。
私たちは別々の存在ではありません。人間としての現れにおいて、個性はあるでしょうが、本質的には、私たちはひとつです。
このことに気付くとすばらしい愛が生まれるのです。あらゆる存在をものすごく親密に感じます
人生は私たちの本質の現れだと分かります。人生の広大無限さは、私たちの本質であるスピリットの現れなのです。
このことに気付くと、リアルな実感として、毎日のどんな瞬間にも人生で出会うどんな存在にも、深い愛ととても強い親密さ・親近感を感じるのですよ。
繰り返しますが、道徳的な価値基準ではありません。スピリットにとって、もともと価値のあるものであり、これは文字どおり、
私たちの本質の現れなのです。真実、調和、自由、平和、感謝、愛。
この目覚めた価値観が本当の自分の本質なのですから、そういう価値観に「なろう」とする必要はないのです。
「なろう」とするのはエゴ的な観点です。この価値観は、本当の自分の真ん中から、自然と現れてくるのですよ
「すべてをあるがままにしていること」と「私とは何なのか問うこと」を通して目覚めることが最も重要なことです。
そして、意識的に生きてください。
この目覚めた価値観は、外側から取り入れなくても、内側で発見できるのですよ。あなたの本質なのですから。
「静かにじっとしていること」と「問うこと」を通して、この目覚めた価値観を持った本当の自分を発見するのです。
スピリットは決して、分離意識、つまり恐れ・批判・コントロールなどを土台にして生きません。真実、調和、自由、平和、感謝、愛
この価値観をもとにスピリットは生きているのです。
繰り返しますが、この価値観はエゴが努力して身につけるべきものではなく、あなたの本質がもともと持っているもので、あなたによって発見されあなたによって生きられるのを待っているのですよ。「意志的に生きること」とはこういうことです。
スピリットがもともと持っている価値観を発揮して生きることです。
本当の自分はスピリットだと気付けばこれは簡単にできるでしょう。
そして、意識的に生きることは自分だけではなく、全世界にとっての幸福につながるのですよ。真実の愛の表現です。

さあこれで基本的な実践方法を3つお話ししました。
最初にも言ったように、基本が最も重要です。みなさん複雑で難しい教えを求めますが、基本は見失いやすいものです。
今回話した基本的な実践方法や前回話した基本原理よりももっと複雑な教えもありますが、それでも最も大切なのは基本なんですよ。
家と同じですね。土台がしっかりしていないと家は倒れてしまうでしょう。
もっと複雑で細かい教えもあるけれど、スピリチュアルの教えは、基本が98パーセントです。
スピリチュアルの教えに慣れてくると基本はもういいから新しいことを学びたいと思うかもしれませんが、絶対に基本から動かないでください。決して基礎から離れてはいけません。
なぜなら、この基本の中に、この基礎的な真実と原理の中に、とてつもなく深く微細で核心的な叡智と愛、そして目覚めの実現が含まれているのです。この、ごくごく基本的な教えの中に真実と存在の神聖さを発見するための生きた啓示が隠れているのです。ですから、基本から決して離れないでください。
正直に、誠実に、意志と愛をもって実践すれば、この基本的な教えが、あなたを今まで想像もできなかった世界に連れていってくれるでしょう。


2014年1月24日金曜日

アジャシャンティの「基本原理」

知人から、現代アメリカで、人気が高いスピリチュアルな教師の一人、アジャシャンテイを紹介されました。

本名はスティーヴン・グレイと言い、1962年カリフォルニア生まれで、少年時代は学習障害(LD、発達障害の一種)と診断されたこともあったようです。

ロサンジェルス禅センターの前角(まえずみ)博雄老師の在家の弟子のアーヴィス・ジョエン・ジョスティという主婦が、たまたまスティーヴンの家の近くに住んでいたため、19歳のときから彼女に禅の指導を受けました。25歳で最初のスピリチュアルな覚醒体験をし、そのあとも父親の機械店を手伝いながら参禅を続けます。


1996年,32歳の時にアーヴィスから人を教えてはどうかと勧められ、叔母さんの家のガレージを借りて談話会を開きます。最初は数人の参加者でしたが、評判が高まりどんどん参加者が増え、数年後にはホールを借りて、数百人の参加者相手に話をするようにまでなります。このころアジャシャンティ(サンスクリット語で根源的な平和)というスピリチュアル・ネームで活動するようなりました。


今では、彼が代表をつとめる非営利団体オープン・ゲート・サンガのリトリート(合宿)は人気が高く応募者が殺到するので、抽選で参加者が決定されているそうです。


「Down The Rabbit Hole」というブログで基本原理1~4及び基本実践1~3を翻訳し、掲載してくださってありました。   
テーラワーダ仏教と禅に基づいた思想が現代的な表現でわかりやすく説明されており、とても参考になります。
http://rabbithole0.blogspot.jp/2013/08/blog-post_8.html 


【基本原理1,2】苦悩の根本原因
スピリチュアルの教えに親しみ始めると基本的なことを見失ってしまう人がとても多いのですが、どのような教えにおいてもごく基本的でシンプルなところをしっかりと理解しておくことがすべての人にとって最も重要なことの一つなんですよ。
そこで、まず最初に私の教えの基盤をあらためて簡潔に説明し、次に、その教えを実際どのように活かせばよいのかお話ししていきたいと思います。

私の教えの基盤は4つの「基本原理」に要約できるでしょう。
1の基本原理は、こうです。
あらゆる悩みや苦しみはエゴ意識を「自分」と混同していることが原因
エゴ意識を「自分」と混同してしまうと私たちは「無意識」な状態に陥って自分の本質に気付けなくなります。
エゴ意識に囚われ、エゴ意識を「自分」と思い込むことによってあらゆる悩みや苦痛が生まれる。
これが第1の基本原理ですね。
大多数の人々がほとんどいつもエゴ意識で生きています。人間というものは個人的にも、集団的にもエゴ意識に圧倒的に囚われたまま日々の生活を送っているんです。私たちが暮らしているこの世界は人間の集合意識によって創り出されている世界なのですよ。
人間の集合意識は圧倒的にエゴ的な構造に支配されているので、この世界での私たちの振る舞いや人間関係などは、やはり、エゴ的な構造に基づいたものになっているわけです。
そのようなエゴ意識に囚われた在り方こそがすべての悩みや苦しみの「根っこ」なのだと知ることはとても重要なのですよ。
そして、エゴ意識があらゆる苦しみの根本原因だからこそ、その正体をよく理解しておくべきなのです。
先ほど言ったように、私たちがエゴ意識に囚われていると「眠っている」状態に陥って、自分の本質に気付けなくなるんですね。
私たちの本質とは何なのか本当は言葉で描写することなどできないのですが、スピリチュアルの教えはとりあえず言葉で説明する必要があるので、私は便宜的に、「意識的なスピリット」と呼んでいます。
この第1の基本原理をしっかり理解しておくことはとても重要ですよ。
普段 私たちは悩んだり 苦痛を感じたりするとき「外側」に原因があると思いますよね。
「思い通りにいかない」、「自分は理想的な人間ではない」、「こんなことが起こった」など状況や環境、何らかの出来事のせいで苦痛を感じるのだと思い込みます。
しかし、本当によく確かめてみると、私たちが悩んだり苦しんだりするのは、「思考パターン」と自分を混同していることが、本当の原因だと分かってくるでしょう。
これは第2の基本原理につながっていきます。

第2の基本原理はこうです。
エゴは 頭の中の創りもの
分離意識に基づいて、ぐるぐる繰り返す思考パターンによって創り出されているもの。それがエゴなのです。
どういう意味なのか分かりますか?エゴというものは基本的に、「自分」という感覚であり、また、その「自分」という感覚にくっついている思考や信念でもあります。それらが かたまりになったものが「私」という確固とした自己感覚になっているんですね。
「私」という自己感覚は頭の中で創り出されているイメージなんです。
さきほど言ったように、ほとんどの人間はこの頭の中の自己イメージを本当に「自分」だと思い込んでいるのですが、その自己イメージは分離意識に基づいてぐるぐる循環する思考パターンでしかないのですよ
そして、この自己イメージに過ぎないエゴがいつもいつも幸せや平和を探し求めています。
でも、エゴが見つけ出す幸せや平和というものはどんなものであっても長く続くものではなくあっという間に過ぎ去っていくので結局ほとんど満たされることはないのです。
ですから、「自分」という感覚をすべて根底から本当によく確かめることはとても重要なのです。
どんな自己イメージだろうとすべては延々と果てしなく繰り返す思考パターンであり、このような思考パターンは、分離意識 つまり「私たちはバラバラの個別の存在だ」という誤った認識が土台になっています。
「私は他人や世界とは別々の存在だ」これが意識的にしろ無意識的にしろエゴの世界観なんですね。
広大無限な人生にどこか恐れを抱きながらバラバラの個人として生きている。
それでもエゴは人生を見つめて幸せになろうとする。そして、エゴは決して幸せが見つけられない場所で幸せを探し続けるのです。
「外側」には、永遠に続く本当の幸せなど存在しません。外側で見つけた喜びはどんなものでも一時的なものであり必ず通り過ぎていくのですから。
「あらゆる現象は来ては去って行く」ブッダは2500年以上前にそう言っていました。
私たちが抱く「自分」という感覚がどのような仕組みになっていてエゴがどのように創られているのかをよく理解することは非常に重要なのですよ。
繰り返しますが、少なくとも基本的にはエゴは頭の中の創りものなのです。ですから、あなたが「これが私だ」と思っていても、まさに、単に そう「思っている」だけなのです。「これが私だ」と信じるように教え込まれたのですね。
自分に対する信念、考え、評価などの集合体を個人としての「私」として頭の中で創り出しているのです
自分の本質が何なのかなど気にしたことがない人はこの話を聞いて驚くでしょうね。本当の自分は決して頭で考えられるものではないのです。
「これが自分」と思っているもの、「これが誰々」と思っているもの、「これが世界」と思っているもの、それは全て文字どおり「思っている」だけであって単なる思考に過ぎないのですよ。
このように、私たちが「思考中毒」と言えるほど思考をガッチリと抱え込んでいたり、さらに思考と自分を混同していることがあらゆる苦痛や悩みの根深い原因なのです。

【基本原理3,4】本当の自分への目覚め
あなたの意識の中心が本当の自分であり、すべての起点です。自由や平和、そしてスピリチュアルな目覚めも「外側」ではなく自分の中に在るのですよ。本当の自分を「知っている」と思わないで「自分とは何なのか?」と問いかけること。これがまずは最も大切な第一歩なのです。
心を開け放って「私が自分だと思っているものは本当は自分ではないかもしれない」「自分とは何なのか?」そう問いかける意志を持つことです。
スピリチュアルの道を歩む人たちはよく「スピリチュアル・エゴ」を創り上げます。「スピリチュアル・エゴ」とは、基本的にスピリチュアル探求者で自分が探し求めているもの、たとえば神、覚醒、幸せ、自己実現、平穏などに対するイメージを抱きいわゆる「スピリチャルな人」になります。
スピリチュアル探求者になると私たちは 自由や幸せを手に入れるために「何かを探求しなくてはいけない」「どこかへ到達しなくてはいけない」という思考パターンを創り上げます。
第2の基本原理は「エゴは頭の中の創りもの」でしたね。分離意識に囚われた信念を土台にして延々と繰り返す思考パターン。
「神も 平穏も 幸せも 愛も 自分とは別のものだから手に入れなくてはいけない」
このエゴの信念が私たちの苦しみや悩みの大きな原因でありスピリチュアリティーにおいて真っ先に消し去るべき幻想なのです。
スピリチュアルの教えは、エゴ意識から脱出して本当の自分がいったい何なのかを知り
新しい認識にシフトするチャンスを私たちに与えてくれるものなんですよ。
ちょっと立ち止まって「私が自分だと思っている『私』は本当の自分ではないのでは?」と問いかける意志からすべてが始まります。
自分のことをいい人だとか悪い人だとか、価値があるとか無いとか、スピリチュアルな人だとか、探求者だとか...どのように思っていようが、分離意識から感じていることは、すべてが単なる作り話なのです。
「これが私」という確固たる自己イメージを「本当にそうなの?」と疑う好奇心を持つことがスピリチュアルの目覚めと幸せや平和の実現のために絶対的に重要なポイントなのです。

さて、第3の基本原理はこうです。
本当の自分に目覚めることでエゴ意識から解放される
意識的なスピリットとして、本当の自分に目覚めることによって、自由と真実のすべてを知ることができるのです。
エゴ意識から解放されるなんて、すごく難しいことでかなりの努力や年月が必要なんじゃない?と、 みなさんは思っているでしょう。
でも、ちょっと思い出してみてください。エゴとは何だったでしょうか?
エゴとは単に、分離意識による信念を土台にして延々とリピートするひとりよがりな思考パターンであって実体など無いのですよ。
単なる思考パターンだからこそ長年「自分」と混同していたらある意味しつこいかもしれませんね
それでも単なる思考パターンなのですから崩壊させるのは不可能ではないのですよ。
実際にはみなさんがイメージしているよりもずっと簡単でそんなに時間もかからないことでしょう。意識的なスピリットとして、本当の自分に目覚めることで、エゴ意識から解放される。これが第3の基本原理です。では、「意識的なスピリット」とは何なのかお話ししていきましょう。
エゴとは、今まで説明してきた通り、思考への中毒、執着です。
思考を取り除くことはできません。思考と戦おうとしても、思考と同じ土俵に留まり続けることになるだけで無意味なんですよ。
「思考をストップさせる」「イヤなことは考えないようにする」「自分が望むことだけを考える」こういったことがスピリチュアルの修業として、ずいぶん長い間 行われてきたのですが、そのような努力をすること自体根本的な誤解をしているということなので、結局うまくいかないのです。思考と自分を混同することで苦しみが生まれるのなら「思考を排除しなければならない」そう誤解しているわけですね。
でも、苦しみの原因は思考そのものではなく、思考を「自分」と思い込むことなのですよ。ここはしっかり理解しておかなくてはいけません。
思考と自分をゴチャ混ぜにすることが問題の核なのに、思考そのものが問題なのだと誤解して思考を止めようとしたり望ましいことだけ考えようとしたりしていたら大変なエネルギーと時間をムダにすることになりますよ。
思考が悪いわけではなく、思考と自分をごっちゃにすることが苦悩の原因なのだと気付くことです。思考と自分を混同するから分離意識が生じてエゴを創り上げるのです。
頭の中で展開していることが幻想だと気付いてくると思考は自分ではないということも分かってくるでしょう。
思考はあなたではなく、何者でもなく、単にあなたの中で起こっている現象なのです。これが基本的に理解しておくべきことですよ。
「思考は自分ではない。自分の中で起こっているだけなのに自分と混同しているのだ」と気付いて思考と戦うのを止めると本当の自分は思考が創り上げているエゴではなく他の何かなのだと気付き始めます。
それでは、本当の自分とは何なのでしょうか?
思考が自分の中で起こっているのなら、いったい何の中で起こっているというのでしょうか?
このことについて話すとき、私は「意識的なスピリット」という言葉を使います。
私たちの本質は言葉で表すことができません。形もなく見ることも触れることも出来ません。
なので、「スピリット(精神/魂)」という言葉を使っています。スピリットは存在するけれど形の無いものですからね。
そして、「意識的な」と言うのはなぜかと言うと、ここが大切なところなのですが、私たちはみんな、ある意味、意識がありますよね。
では、何を意識していますか?
さきほど話したように、ほとんどの人は、意識を思考と混同していて、夢を見ているような状態なのです。それでエゴが出来上がっているわけですね。でも、思考は自分ではないと分かってくると、私たちの意識は自然と意識自体へ戻って来るのです。
本当の自分という、言葉で表せない存在が意識を取り戻し始めます。
あなたは いつでも常に「スピリット」であり、言葉で表せない存在なのです。そうでなかった瞬間など今までだって一度も無いのです。
本当の自分以外になんてなれるわけがないでしょう?
本当の自分でいることを中断することなんてできないのですから、今までもこれからも、いつでも常に本当の自分でしかないのです。
だけど、それを意識できていないことはあるのですね。
本当の自分に気付いていないとエゴを自分だと思ってしまうわけです。
ですから、私たちが目覚めて自分は思考が創っている自己イメージではなく実はスピリットなのだと気付くと、その瞬間、スピリットに意識が戻るのです。スピリットが言葉で表せない意識ある存在としてスピリット自らを意識するのです。
ほとんどの人は本当の自分がスピリットだなんて教えられることはなく、特定の個人なのだと教えられますよね。
どこで生まれたとか、どういう経歴があるとか、どんな性格だとか、男か女かとか、そういう定義が「自分」だと教えられます。
自分も他の人もあらゆる存在が本当はスピリットである。そんなふうに教えられて育つ人はほとんどいないでしょう。
私たちが本当の自分を知り本当の自分に目覚るためにスピリチュアルの教えがあるのです。
本当の自分であるスピリットがスピリット自らに気付いて意識を取り戻すこと。それが、スピリチュアルの目覚めなのです。

では、第4の基本原理に行きましょう。
目覚めた価値観
目覚め後の価値観は道徳的な価値基準とは違います。私たちは、良いこと、悪いこと、正しいこと、間違っていることなど道徳的な価値基準や競走に勝つこと、成功すること、何かを獲得することなどの人生における物質的な価値観も教えられますよね。
特にアメリカの社会や西洋文化では何かを獲得すること、たとえば多くの物を所有すること、お金を増やすこと、たくさんの経験を積むこと、より美しくなったり、美貌をキープすることなどにとても大きな意義が与えられます。
そして、文化が変われば物質面も 道徳面でも価値観は多少変わりますね。
目覚め後の価値観は道徳的な価値基準とは違って「こうすべき」という判断に基づいたものではありません。
目覚め後の価値観は私たちの本質にもともと内在しているのです。
私たちが意識的なスピリットとして本当の自分に目覚めると同時にその内在した価値観にも気付き始めます。
新たな道徳観を得るというわけではなく、スピリットがもともと持っている価値観に気付くということですよ。これはとても重要なことです。そうでないと世間で教えられたエゴ的な道徳観や価値観に囚われたままになってしまいます。人はみんな「価値がある」と信じていることを指針にして生きていくものですからね。
エゴは競走に勝つことや賛同してもらうこと、愛されることなどに価値を置きます。
また、コントロールすること、被害者になること、加害者になること、人を責めたり批判したり何かを激しく非難することなどに価値を感じるエゴもあります。どちらにしても、エゴは「分離」に価値を置くわけですね。エゴの価値観はどんなものでも分離意識が土台になっているのです。
しかし、目覚めたスピリットの価値観はまったく違います。
誰かに教え込まれるものではなく私たちの本質がもともと持っていて自然と気付くものなのです。「真実」は私たちの本質が持つすばらしい価値観なんですよ。真実に生きること。真実であること。それから「調和」。調和とは つまり真実なのです。真実においてはすべてが ひとつなのですから。私たちの目には、あらゆるものが違っていて個性があるように見えますが、その奥に隠れている本質はやはりスピリットなのです。あらゆる全てであるスピリットが自らを表現しているのです。
あなたが見るもの聞くもの体験すること、意識的な存在であろうとひどく無意識な存在であろうとすべてがただひとつのスピリットの現れでありそれ以外のものなど何も存在しないのです。
目覚めたスピリットはこのワンネス・調和に価値を置き、そして、「自由」に価値を置きます。自分のためだけではなく、あらゆる存在のために。
それから、平和、感謝、愛。いま挙げたのは私たちの本質が持つ価値観のほんの一部なんですよ。私たちの本質は根本的な「善」なのです。すばらしいことですよね。
善といっても世間的な道徳観で考えるような「悪」に対する「善」ではありませんよ。
そうではなく、私たちの本質にもともと内在するもっと深いものです。
とは言っても私たちが目覚めたら「聖者」のようになるわけではありませんよ。
人々が目覚めに対して抱いているイメージは実態とは違ってひどく歪められているのです。
ですから私たちは本当の自分・真実を知るために自己イメージだけではなく目覚めや覚醒にまつわるイメージもすべて手放さなければなりません。
自分の本質に内在する価値観を知ることで私たちはスピリット自らの表現である、あらゆる存在とつながることができるのです。
私たちが自分の本質に目覚めてそこに内在する価値観にしっかり気付き始めると私たちはその価値観に導かれ、この世界での在り方、周りとの関わり方、日常生活での生き方などがまったく新しいものにシフトしていきます。
その価値観に従おうと考えるわけではなく自然とそうなるのですよ。すばらしいことですよね。
さあ、これで私の教えの基本原理を4つとも話しました。

次は、いま話した教えをあなたが自分で実感するため、実際に目覚めるためにどのように活用すればいいのか話していきましょう。

2014年1月17日金曜日

『世界一有名な家庭教師の知られざる過去』

━━それは100年以上前の1876年にさかのぼる。
 
アメリカ・マサチューセッツ州のとある精神病棟に、緊張型精神分裂病と診断されたひとりの少女がいた。
その少女はほとんど牢獄のような病室のベッドの上で、くる日もくる日もうずくまり続け、看護師によって毎日運ばれる食事にもまったく手をつけることはなかったという。
 
その日も少女はせっかく運ばれた食事に手をつけず、それを見た女性看護師は食事の乗ったトレイを持ちながらいらだたしげにいった。「食べないならもう 持ってこないわよ!」

そして看護師は少女の病室をあとにした。しかし少女はなににも反応を示すことはなく、いつまでたってもベッドの上で体を丸めてうずくまるばかりだった。病気は治る見込みはないとされ、なんと家族からも見放されていたという……。 

が、そんな孤独な少女を気にかける看護師がたったひとりだけいた。
その女性は鉄格子越しに少女の様子を眺め、『今日も食べてないのね……』と心配そうにつぶやいた。
少女は食事もとろうとせず、止まることなく衰えていくばかりであった。

しかし誰もがさじを投げる中、その女性看護師だけは少女をほうっておくことができなかった。
実は彼女には少女と同じくらいの年の娘がいたのである。
ある日のこと。少女の病室に向かう途中、少女を気にかける看護師は同僚の看護師とすれちがう。

その際、同僚は『あれ(病気の少女)はもうダメよ』という感じで手を振りながら過ぎ去っていった。
少女の病室の前にたどり着いた看護師は鉄格子越しにベッドの上の少女を見つめる。
しかし医師ではない自分にはどうすることもできない。

しかし彼女は『せめて自分にできることを……』ということで翌日から次のような行動を開始した。
少女の病室に入ると、看護師はクッキーが数枚乗った皿をそっと少女のそばに置いた。 
「これ、私が焼いたのよ。味には自信がないんだけど……。よかったら食べてね」

彼女は少女に『あなたはひとりじゃないのよ。あなたを気にかけている人がいるのよ』という思いを込めてクッキーを置いたという。
以来、彼女はくる日もくる日も少女の病室に手作りのクッキーを置き続け、かたく閉ざされた少女の心をやさしくノックし続けた。
看護師はベッドの上で眠り続ける少女に語りかける。

「お菓子はなにが好き?いってくれればなんでもつくってあげるからね。でも、難しいのは勘弁してね」
 ━━それから数カ月が過ぎたある日のことだった。

看護師が少女の病室を鉄格子越しにのぞくと、そこにひとつの大きな変化が起きていることに気づいた。
なんと皿の上のクッキーが全部なくなっていたのである!

つまり一切の食事を拒み続けていた少女は看護師の置いたクッキーをついに食べたのだ。
それを目撃した看護師はたとえようのない深い感激に襲われた。

ただ死を待つばかりだった少女に小さな奇跡が起きたのだ。看護師は笑顔を浮かべて少女にいう。
「ほんとにあなた、よく食べてくれたわね。私も嬉しいわ」
そして皿を持って病室を出ようとしたときである。看護師の耳にか細い声が入ってきたのだ。

「……ありが……とう……」その声はベッドの上の少女の声だった。
少女の声を耳にした看護師はもちろんひどく驚き、急いで少女のそばに戻って憔悴した少女の体を強く抱きしめた。
「大丈夫よ! あなたはひとりじゃないのよ!」
看護師のその言葉が少女にはっきり聞こえていたかどうかはわからないが、少女はその瞬間から激しく泣きじゃくり出したという。

それはまさしくひとりの看護師が、誰からも見捨てられた孤独な少女の心の扉を開いた瞬間だった。
そして、この少女がのちに、世界中の誰もが知るとある奇跡の物語の主人公になるのである……。

心の病を患い、なににも反応を示すことなく、ただただ死を待つばかりだったひとりの少女。
その少女の心を開いたのはひとりの看護師の小さな愛のメッセージであった━━。
 
それから10年の月日が流れる━━。 
かつて少女が入院していた病院の院長室をひとりの紳士がたずねてきた。彼は院長に向かって深刻な表情で
こういった。
 
「娘のことをなんとかお願いできないでしょうか?」
重度の身体障害児を子供に持つこの男性は、娘の世話ができる人物を必死で探していたのだ。
 
「いくつか病院をまわったんですが、すべて断られてしまって……。やはり無理ですよね……」
表情を暗くしてそうつぶやく男性に、院長ははきはきとこういった。
  
「お引き受けします」
「え!?」顔をあげて驚愕する男性。
 
そして院長はひとりの女性を院長室に呼び寄せた。院長に入ってきたのはサングラスをかけた若い女性。
彼女は身体障害児の娘を持つ男性と笑顔で握手をかわした。 
実は彼女こそ、かつて死を待つばかりだったあのときの少女だったのである。

彼女はかつてとは見違える姿で院長室に登場した。
院長はいう。「彼女ならまちがいないでしょう。まさに適任です」
そして相談にやってきた男性は激しく喜びを露にする。

「ハァ、よかった! これでヘレンも救われる!」
このとき、サングラスの女性は二十歳。そして彼女は自己紹介をする。
「よろしくお願いします。アニー・サリバンと申します」

そう。この女性こそ、わずか1歳にして光と音のない世界に突き落とされたヘレン・ケラーに50年の永きにわたって献身的に付き添い、家庭教師の代名詞となるあのサリバン先生だったのである。
 
サリバン先生といえばサングラス姿が有名だが、実は彼女は目の病気を患っており、目を保護する目的で常に
サングラスをかけていたのだという。
 
……ある日の昼下がりの公園のベンチの上。
サリバン先生は腕を振り回していうことをきこうとしないヘレン・ケラーに戸惑いを隠せない。
しかしサリバン先生はヘレン・ケラーに常にこういいきかせ続けたという。
 
『大丈夫、 あなたはひとりじゃないの!』
━━それは自身が生まれ変わるきっかけとなったあの看護師のメッセージ。

やがてヘレン・ケラーにサリバン先生の思いは伝わっていく……。 
「ヘレン……?」サリバン先生はベンチで隣に座るヘレン・ケラーに目をやる。
ヘレン・ケラーはバケツの水の中にそっと手を入れ、小さな声でぎこちなくこうつぶやいた。「
……ウォー……ター……」

飛び上がるような歓喜に襲われるサリバン先生。「そうよ!『ウォーター』、もう1度いってごらん!」「……ウ、ウォー……ター……」

「ヘレン!」サリバン先生はヘレン・ケラーの名前を叫びながらヘレン・ケラーの小さな体を抱きしめた。
限りない慈愛と忍耐を持つサリバン先生。こうして再び奇跡が起きたのであった━━。

ちなみに“奇跡の人”といえば日本ではヘレン・ケラーのことだと思われがちだが、国際的には“奇跡の人”とはサリバン先生を指す言葉だとされている。


 素晴らしい話なので、シェアしました。

2014年1月14日火曜日

マインドフルネス瞑想の実践(マインドフルライフ協会定例会資料)

1 マインドフルネス瞑想の目指すもの
  (瞑想の) 集中力が深まるにつれ、思考や感覚が一つ一つ別々の泡のように・・・ゆっくりと現れてくるのを見る能力がつくでしょう。・・・思考や感覚は無意識の領域からゆっくり湧き上がってきます。・・・(略)・・・ 私たちが目指し、努力している理想というのは、一つ一つの心の現象に何も付け加えず、いかなる部分も逃がさずに、あるがまま、充分に経験することです。(バンテ・H・グラナタナ著「マインドフルネス」より)

2 マインドフルネス瞑想の練習ステップ
(1) 体の“感覚”に「気づき」を置く練習
   ・マインドフル・ヨガ
   ・ボディスキャン瞑想
(2) 静座瞑想で「呼吸に伴って生じる感覚」に注意を置き、「集中力」と気づき」を高める練習。
(3) 「気づき」を、“からだ全体”、“音”、“思考の流れ”、“選択のない気づき”広げる練習。
      〇ヴィパッサナーの開始に「禅定」を求めない
(4) (平行して)日常生活に広げる練習
   ・歩く瞑想 ・食事  ・待ち時間等

3 マインドフルネス指導者に求められる事項
 毎日のマインドフルネス瞑想の実践
〇 指導者の付いたマインドフルネス宿泊瞑想会への参加(510日間)
 ヨーガ等による身体への気づきの訓練
 関連する分野の専門的学習と訓練
                                        Oasis   Institute)
4 マインドフルネス瞑想基礎練習プログラム

Ⅰ 目的
  マインドフルネス・ストレス逓減法(以下、「MBSR」)及びマインドフルネス認知療法(以下、「MBCT」)に示されたエクササイズを簡略化し、基礎となっているマインドフルネス瞑想を練習するためのプログラムを例示する。

Ⅱ 留意点
  本プログラムの「静座瞑想」エクササイズは次のように実施する。
 1 呼吸により生じる身体感覚を「気づき」の対象とし、注意がそれたら、何度でも繰り返し集中することにより、集中力を育てる。
2 呼吸に注意を集中できるようになったら、私たちの中で起こる感覚や感情、思考に「気づき」の対象を広げていき、それらを“客観的”に観察することのできる力を育てる。

Ⅲ プログラムの構成
練習のプログラムは次のエクササイズから組み立てるものとする。
1.            身体感覚を感じる瞑想(ボディー・スキャン、MBSR p139
2.            慈悲の瞑想(MBSR p312)
3.            静座瞑想(MBSR p110)の各エクササイズ
4.            歩く瞑想(MBCT p139)
5.            立位のマインドフル・ヨーガ(MBSR p164)ほかのボーディ・ワーク
6.            毎日行うマインドフルネス(MBCT p256
7.            その他MBSR及びMBCTに示されているエクササイズ

Ⅳ 毎日の練習の推奨
  マインドフルネス瞑想は1日に1回は、「身体感覚を感じる瞑想」「慈悲の瞑想」「静座瞑想」を組み合わせて約40分間実施するとともに、機会を捉えて「毎日行うマインドフルネス」を実施することを推奨する。

1 身体の感覚を感じる瞑想(簡易ボディー・スキャン)
(1)背筋をのばし、楽な姿勢で、ゆったりと座り、目をそっと閉じましょう。
(2)下腹部の感覚に意識を置き、息とともに、下腹部が膨らんだり、縮んだりする感覚を感じましょう。ゆったりとした呼吸のリズムを感じましょう。
(3)次に、ゆっくりと息を吸い込み、注意の焦点を身体の特定の部分に置き、2~3回呼吸をします。背景では呼吸に気づきつつ、前景では特定部分のあらゆる身体感覚を探り、感覚と共に呼吸しましょう。
(4)次に吸う息で注意の焦点を左足のつま先に置きましょう。注意を足の裏、ふくらはぎ、太ももに移しましょう。今度は右足のつま先、足の裏、ふくらはぎ、太ももに移しましょう。骨盤の部分に移りお尻の部分も意識し、この部分全体を感じましょう。次に注意の焦点を腰、背中の下部、背中の上部、お腹と脇腹、肋骨と胸の部分に移動しましょう。
(5)  両手は同時に行います。両手のひら、腕の下部、上腕、肩に移動しましょう。
(6) 次に、首とのどの部分に移動しましょう。顔全体を感じましょう。後頭部に移しましょう。 
最後に頭頂部に移しましょう。
(7)  このあと、少し時間をとって、全体としての身体の感覚に気づきを向けましょう。

2 慈悲の瞑想  
   慈悲の瞑想で“我”への執着を弱めてから、ヴィパッサナー瞑想(マインドフルネス瞑想)を引き続き実践すると、ヴィパッサナーの智慧により真実を洞察することが容易になると言われています。
1 慈悲を送る対象(初めは、次の3種類で行いましょう。)
(1)  あなた自身
自分を包みこむような イメージを思い描いて念じましょう。
(2)  あなたが恩を感じている人
あなたが敬愛する人や大切に思う人を目の前に思い浮かべて念じましょう。
(3)  すべての人
幸せを願うあなたの思いをすべての人にささげましょう。
  
2 送り方
心の中で、吐く息とともに2~3回唱えます。

(私が) 苦しみからはなれ (または、健やかであり、危険がなく)
       心安らかに
        幸せでありますように

3 静座瞑想
1 身体の部
() 呼吸に伴って生じる感覚に意識を集中しましょう。
① 息を吸うと、鼻先から空気が入ってきて、鼻孔を通過する空気の流れが鼻孔の縁に触れる感覚が感じられます。息を吐くと空気が鼻孔を通り過ぎ、鼻先から出て行く感 覚が感じられます。呼吸に伴う感覚の変化に「気づき」を向け、息の始まりと終わり、息と息との小休止にも注意を向けます。
 (鼻先の感覚を感じにくい場合は、お腹が膨らんだり縮んだりする感覚に注意を置きます。)
② 注意がもはや呼吸に向いていないと気づいたら、心の行き先を簡単に確認し、身体感覚の変化に注意を穏やかに戻します
() 全身に意識を広げましょう。
        呼吸への気づきがある程度安定してきたと感じたら、全身の身体感覚が含まれるように、気づきの領域を拡大しましょう。

2 感覚の部
(1) 気づきの焦点を、身体感覚から聴くことへ移しましょう。注意を耳へと向け、気づきが広がるのにまかせます。できるだけ心をオープンにし、どんな方向からの音にも気づけるようにしましょう。感覚としての音に気づいてください
() 身体の特定の部分に何か強い感覚を感じたら、身体の感覚を感じる瞑想でしたように、そこから息を吸ったり、吐いたりしてみましょう。

3 心の部
(1) 呼吸に対する注意が安定したら、心の中の「欲望」や「怒り」といった思いに注意を向けましょう。思いや考えを心の中の“出来事”として感じ取り、受容するようにしましょう。煩悩がない時の心も観察しましょう。
(2) 一番はっきりと感じられる思考や感情に簡単に名前を付け、頭の中で2、3回唱えることを試してみましょう。
(3) 意識を完全に開放し、意識の領域に入ってきたものはすべて受け入れ、去っていくものは去るにまかせて、それをじっと観察する練習をしてみるのも良いでしょう。


4 歩く瞑想
(1) 手を前か後ろで組み合わせ、視線をやさしくまっすぐ前に向けます。

(2) 両足と床の接触面に気づきを向け、足の裏と床の接触による身体感覚を感じましょう。

(3) 体重を左足に移し、息を吸いながら右足のかかとを床からゆっくりと上げ、注意深く半歩前に進めましょう。小さく自然な歩幅がベストです。

(4) 息を吐きながら右足のかかとから床に着け、体重が足先にかかっていくのを感じます。

(5) 同様にして左足を半歩進めます。
     自然な呼吸に合わせ、呼吸をペースメーカーにして歩いてみましょう。

(6) 端まで来たら,少しの間立ち止まって、「立つ」ということを意識しましょう。
  それからゆっくり体の向きを変えながら、そのときの複雑な動きに気づいて、それを認めて、そして歩き続けます。


5 立位のマインドフル・ヨーガ
1  山のポーズ
 手のひらは開いて体側に置き、まっすぐに立ちます。前後に傾かないように、頭は両肩と直角に保ちます。体重は両脚に均等に乗せ、膝、腰、肩、耳が一直線上に来るようにします。ヨガを行っている間は常にゆったりと呼吸し、その呼吸に合わせるようにゆっくり身体を動かします。

23 全身ストレッチ
 息を吸いながら両腕を横に床と平行になるまで上げ、一度止まり、1・2度呼吸してから手のひらを返し、次の息を吸うのと共に頭の上まで上げます。まっすぐに前を見つめ、腕と胴体を空に向かって伸ばします。息を吐きながら手のひらを外側に向け、手首を直角に曲げて押し出すようにしながら、ゆっくり意識して、腕を体側に戻します。                                           

4 腕のストレッチ
 自然な呼吸をしながら左腕を頭の上まであげます。出来るだけ遠くまで左手を空の方向に伸ばし、右手は床の方向に伸ばします。④同時に右のかかとを持ち上げさらに身体を伸ばします。ゆっくりと開放し、かかとと腕を下ろします。反対側も行います。
右腕を頭の上まで上げます。さらに空に向かって伸ばしながら左手は床の方向へ④同時に左のかかとを持ち上げます。ゆっくりかかとを下ろし、腕を下ろします。

5 体側のストレッチ
 息を吸いながら両腕を平行に頭の上まで挙げます。一度息を吐き、吸いながら上へ高く伸び、息を吐きながら腰を右に押し出しゆっくりと身体を左へ倒します。三日月を形作るようにして右の脇を伸ばします。ゆったりと呼吸し、吸いながら腕を中央に戻します。
そのまま息を吐きながら腰を左に押し出し、ゆっくりと全身を右側に倒し左のわきを伸ばします。ゆったりと呼吸し④吸いながら腕を中央に戻し吐きながら下に下ろします。

6,7,8,9 肩を回す
 腕はぶら下げた状態で、最初は肩を耳に向かってできるだけ持ち上げます。それから肩甲骨を合わせるように後ろへ持っていきます。次に肩を完全に落とし、それから肩をくっつけるかのように出来るだけ身体の前で絞り合わせます。最初は同じ方向に3回行います。胸を広げるときに息を吸い、腕が前に来たときに吐きます。それから反対周りで3回、この間ずっと気づきで身体を満たします。再び最初の姿勢に戻り、呼吸をします。

10,11,12,13  首のストレッチ
 初めは左耳を左肩にできるだけ近づけます。次にあごをひいて頭を中央に持ってきます。それから右の耳を右の肩に、続いて無理せずに頭をゆっくりと後ろへ。このようにしてやさしく頭を回します。最初は一方向へ3回行います。それから逆回りで3回。最後に初めの姿勢へ頭を戻します。

14 バランスのポーズ
 両腕を肩の高さまで左右に広げ、左脚を横に持ち上げます。ゆったりと呼吸をし、静かに足と手を下ろします。今度は両手を広げ、右脚を上げます。元に戻ります。

1516 ねじりのポーズ
 両足は肩幅に開き、両手を骨盤においてまっすぐに立ちます。息を吸い吐きながら、左斜め方向に身体をねじります。左肩を後方にひいて、背骨を軸にタオルを絞るような感覚で、さらに胸を広げるようにねじります。息を吐きながら戻ります。反対側も同様に行います。両手を骨盤に置いて息を吸い吐きながら、右斜め後方に身体をねじります。右肩を後方にひいて、さらにむねをひろげるようにします。息を吐きながら戻ります。

17,18 前屈
 息を吸い、吐きながら両膝を軽く曲げ、腰を曲げて、両手ですねを持ちます。自然な呼吸をします。両手はすねに置いたまま膝を伸ばし、頭と身体が床と平行になるように起こし、胸を広げて大きく呼吸します。息を吸いながら左腕が床と飛行になるまで、ゆっくり伸ばします。吐きながら左腕を戻します。次に右腕を息を吸いながらゆっくり伸ばします。吐きながら右腕を戻し、身体をまっすぐに起します。

19 椅子に腰かけるポーズ
 両腕を前に伸ばし、腰を後ろへひきます。つま先が見えるよう、膝が前に出過ぎないよう気をつけます。ゆったりと呼吸します。元に戻ります。

20 バランスのポーズ
 最初に右ひざを曲げ、左脚のすねのあたりに右足のくるぶしをつけるようにします。両腕を胸の前で組み、合掌します。息を吸い、バランスを取りながら腕を頭の上に持っていきます。余裕があれば左の手のひらを交差させ、合掌します。やさしく一点を見つめ、ゆったりと呼吸します。息を吐きながら、両手を胸の前に下ろし、静かに戻ります。
次に、左ひざを曲げ、右脚のすねのあたりに左足のくるぶしをつけるようにします。両腕を胸の前で組み、合掌します。息を吸い、バランスを取りながら腕を頭の上に持っていきます。余裕があれば右の手のひらを交差させ、合掌します。一点を見つめ集中するようにします。ゆったりと呼吸します。息を吐きながら両手を胸の前に下ろし元に戻ります。

2122 ウォーリア・Ⅱ
 左脚を後ろに引き、両足を肩幅の2.5倍くらいに広げます。右つま先は前を向き、左足は45度外側に開きます。右ひざを曲げ、両脚に重心を置き、両腕を前後に広げます。自然な呼吸をし、様々な感覚を感じます。左の手のひらを返し、左の体側を伸ばすと同時に右ひじは右ひざにおきます。左腕を下ろし、右ひざを伸ばします。後ろ向きに向きを変え、左つま先は前を向き、右脚は45度外側に開きます。左ひざを曲げ両脚に均等に重心を置き、両腕を前後に広げます。ゆったりとした呼吸を行います。手のひらを返して上に上げ、右の体側を伸ばすのと同時に左ひじは左ひざに置きます。右腕を下ろし、元に戻ります。

23 最後にもう一度山のポーズに戻ります。

〇立位のマインドフル・ヨーガ ポーズ 


〇音声ファイル

6 毎日行うマインドフルネス
(1) 朝最初に目覚めたとき、布団から出る前に、呼吸に注意を向けましょう。
  マインドフルな呼吸を5回行い、観察しましょう。
(2) 姿勢の変化に気づきましょう。横たわっている状態から、座り、立ち、歩く状態へ動いていくときに身体と心がどんな風に感じるかに意識を向けます。ひとつの姿勢からの姿勢へ変化する際にただ気づきを向けましょう。
(3) 電話の鳴る音、鳥が歌う音、電車が通る音、笑い声、車のクラクション、風の音、 ドアが閉まる音、などが聞こえてくるときはいつでも、どんな音もマインドフルネスの 開始のベルとして利用します。本当に注意深く聴き、今ここで目覚めていましょう。
(4) 一日中、ちょっとした瞬間に呼吸に注意を向けましょう。
マインドフルな呼吸を5回行い、観察します。
(5) 何かを食べたり飲むときはいつでも、少しの間、呼吸する時間をとりましょう。
 食べ物を見て、それが成長をはぐくむ何かとつながっていたことを理解します。日光や、雨や、土、農家、トラックの運転手が、食べ物を通して見えますか。食べるときに  は注意を払って、意識的に身体のために消費されるようにしましょう。食べ物を見て、匂いをかいで、味わって、噛んで、飲み込むことに意識を向けましょう。
(6) 歩いたり立っているときの自分の身体に気づきましょう。
少し時間をとって、姿勢に意識を向けます。足の下にある地面との接触に注意を払いましょう。歩くとき、顔や腕や足にかかる空気を感じましょう。今、急いでいますか。
(7) 聞くこと話すことに意識を向けましょう。
 賛成も反対もせず、好き嫌いもせず、自分の番になったら何を言うかも考えないで、ただ聞くことができますか。話しているとき、誇張したり控えめに言うことなくいう必要のあることだけを言うことができますか。心や身体はどう感じているに注意を向けることができますか。
(8) 列に並んで待っているときはいつでも、その時間を利用して、立っていることや呼   吸していることに注意を向けましょう。足と床の接触や、身体がどんな風に感じているかを感じます。腹部に注意を向けましょう。落ち着かない感じがしていますか。
(9) 緊張している部分に一日中注意を向けていましょう。
 そこに息を吸い込むことができるかどうか、そして息を吐き出したとき、緊張を手放せ  るかどうかを観察しましょう。身体のどこかに緊張がたまっている部分はありますか。
たとえば首、肩、胃、あご、腰はどうですか。できればストレッチかヨーガを1日に1回やりましょう。
(10) 日常の活動に注意を向けましょう。たとえば歯磨きや手洗い、髪のブラッシング、靴を履くとき、仕事をするときなどです。それぞれの活動にマインドフルでいましょう。
(11) 夜眠る前に、数分とって呼吸に意識を向けましょう。マインドフルな呼吸を5回行 い、観察しましょう。