2013年6月19日水曜日

非思量について

曹洞宗の 南直哉 師が「非思量」の状態への導き方をブログに記載しています。MBSRの静座瞑想 - あるがままの意識と共に座る- の参考になると思われるので紹介します。


 まず第一段階では、上記(注:筋肉の支えを借りずに、骨格のバランスだけで「正身端坐」の姿勢を作ること)の身体状態を作り出し、これを安定させることに意識を集中します。特に余分な力がどこかに残っていないか点検し、姿勢のブレを正すことが必要です。

(略)

第二段階として、意識の方向を変え、まず最初に聴覚に向けます。どうするかと言うと、あらゆる音を無差別に、吸い取るように「拾う」のです。何の音かは一切判断しない。言わば、「聞く」のではなく「聞こえている」だけの状態に持ち込むわけです。

(略)

これがある程度できたら、第三段階として、聴覚で起きている受動的な感覚状態を、身体全部に拡大します。聴覚から意識を身体に振り替え、さらに身体内部にまで引き込んで、結果として、身体全体を内側から感じる、あるいは感じられるようにするのです。

皮膚の表面(というよりも身体内外の境界)にも何かが感じられるでしょうし、内臓も動いています。そうした感覚を、これまた、それが何であるかを判断することなく、ただ徹底的に感受するわけです。つまり、私の行う坐禅は、「精神集中」ではなく「感覚開放」なのです。

http://indai.blog.ocn.ne.jp/osorezan/2012/10/post_409c.html