2019年7月5日金曜日

自灯明・法灯明

「自灯明・法灯明」つまり、「自己を島(洲)とし、法を島(洲)とする。」ことは、四念処すなわちヴィパサナ(マインドフルネス)を修習することにより起こるのです。

「ブッダ最後の旅」 大パリニッバーナ経(抄) 中村 元 訳(岩波文庫)
第2章 9.旅に病む ベールヴァ村にて  26
  
それ故に、この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。
では、修行僧が自らをたよりとして、他人をたよりとせす、法を島とし、法をよりどころとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころととしないでいるということは、どうして起こるのであるか?

 アーナンダよ。ここに修行僧は身体について身体を観じ、熱心に、よく気をつけて、念じていて、世間における貪欲と憂いとを除くべきである。
 感受について感受を観察し、 熱心に、よく気をつけて、念じていて、世間における貪欲と憂いとを除くべきである。
 こころについて心を観察し、熱心に、よく気をつけて、念じていて、世間における貪欲と憂いとを除くべきである。
 諸々の事象について諸々の事象を観察し、熱心に、よく気をつけて、念じていて、世間における貪欲と憂いとを除くべきである。
  アーナンダよ。このようにして、修行僧は自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとしないでいるのである。

なお、この部分の記述は大乗の「涅槃経」では見当たらないようです。

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