2014年1月24日金曜日

アジャシャンティの「基本原理」

知人から、現代アメリカで、人気が高いスピリチュアルな教師の一人、アジャシャンテイを紹介されました。

本名はスティーヴン・グレイと言い、1962年カリフォルニア生まれで、少年時代は学習障害(LD、発達障害の一種)と診断されたこともあったようです。

ロサンジェルス禅センターの前角(まえずみ)博雄老師の在家の弟子のアーヴィス・ジョエン・ジョスティという主婦が、たまたまスティーヴンの家の近くに住んでいたため、19歳のときから彼女に禅の指導を受けました。25歳で最初のスピリチュアルな覚醒体験をし、そのあとも父親の機械店を手伝いながら参禅を続けます。


1996年,32歳の時にアーヴィスから人を教えてはどうかと勧められ、叔母さんの家のガレージを借りて談話会を開きます。最初は数人の参加者でしたが、評判が高まりどんどん参加者が増え、数年後にはホールを借りて、数百人の参加者相手に話をするようにまでなります。このころアジャシャンティ(サンスクリット語で根源的な平和)というスピリチュアル・ネームで活動するようなりました。


今では、彼が代表をつとめる非営利団体オープン・ゲート・サンガのリトリート(合宿)は人気が高く応募者が殺到するので、抽選で参加者が決定されているそうです。


「Down The Rabbit Hole」というブログで基本原理1~4及び基本実践1~3を翻訳し、掲載してくださってありました。   
テーラワーダ仏教と禅に基づいた思想が現代的な表現でわかりやすく説明されており、とても参考になります。
http://rabbithole0.blogspot.jp/2013/08/blog-post_8.html 


【基本原理1,2】苦悩の根本原因
スピリチュアルの教えに親しみ始めると基本的なことを見失ってしまう人がとても多いのですが、どのような教えにおいてもごく基本的でシンプルなところをしっかりと理解しておくことがすべての人にとって最も重要なことの一つなんですよ。
そこで、まず最初に私の教えの基盤をあらためて簡潔に説明し、次に、その教えを実際どのように活かせばよいのかお話ししていきたいと思います。

私の教えの基盤は4つの「基本原理」に要約できるでしょう。
1の基本原理は、こうです。
あらゆる悩みや苦しみはエゴ意識を「自分」と混同していることが原因
エゴ意識を「自分」と混同してしまうと私たちは「無意識」な状態に陥って自分の本質に気付けなくなります。
エゴ意識に囚われ、エゴ意識を「自分」と思い込むことによってあらゆる悩みや苦痛が生まれる。
これが第1の基本原理ですね。
大多数の人々がほとんどいつもエゴ意識で生きています。人間というものは個人的にも、集団的にもエゴ意識に圧倒的に囚われたまま日々の生活を送っているんです。私たちが暮らしているこの世界は人間の集合意識によって創り出されている世界なのですよ。
人間の集合意識は圧倒的にエゴ的な構造に支配されているので、この世界での私たちの振る舞いや人間関係などは、やはり、エゴ的な構造に基づいたものになっているわけです。
そのようなエゴ意識に囚われた在り方こそがすべての悩みや苦しみの「根っこ」なのだと知ることはとても重要なのですよ。
そして、エゴ意識があらゆる苦しみの根本原因だからこそ、その正体をよく理解しておくべきなのです。
先ほど言ったように、私たちがエゴ意識に囚われていると「眠っている」状態に陥って、自分の本質に気付けなくなるんですね。
私たちの本質とは何なのか本当は言葉で描写することなどできないのですが、スピリチュアルの教えはとりあえず言葉で説明する必要があるので、私は便宜的に、「意識的なスピリット」と呼んでいます。
この第1の基本原理をしっかり理解しておくことはとても重要ですよ。
普段 私たちは悩んだり 苦痛を感じたりするとき「外側」に原因があると思いますよね。
「思い通りにいかない」、「自分は理想的な人間ではない」、「こんなことが起こった」など状況や環境、何らかの出来事のせいで苦痛を感じるのだと思い込みます。
しかし、本当によく確かめてみると、私たちが悩んだり苦しんだりするのは、「思考パターン」と自分を混同していることが、本当の原因だと分かってくるでしょう。
これは第2の基本原理につながっていきます。

第2の基本原理はこうです。
エゴは 頭の中の創りもの
分離意識に基づいて、ぐるぐる繰り返す思考パターンによって創り出されているもの。それがエゴなのです。
どういう意味なのか分かりますか?エゴというものは基本的に、「自分」という感覚であり、また、その「自分」という感覚にくっついている思考や信念でもあります。それらが かたまりになったものが「私」という確固とした自己感覚になっているんですね。
「私」という自己感覚は頭の中で創り出されているイメージなんです。
さきほど言ったように、ほとんどの人間はこの頭の中の自己イメージを本当に「自分」だと思い込んでいるのですが、その自己イメージは分離意識に基づいてぐるぐる循環する思考パターンでしかないのですよ
そして、この自己イメージに過ぎないエゴがいつもいつも幸せや平和を探し求めています。
でも、エゴが見つけ出す幸せや平和というものはどんなものであっても長く続くものではなくあっという間に過ぎ去っていくので結局ほとんど満たされることはないのです。
ですから、「自分」という感覚をすべて根底から本当によく確かめることはとても重要なのです。
どんな自己イメージだろうとすべては延々と果てしなく繰り返す思考パターンであり、このような思考パターンは、分離意識 つまり「私たちはバラバラの個別の存在だ」という誤った認識が土台になっています。
「私は他人や世界とは別々の存在だ」これが意識的にしろ無意識的にしろエゴの世界観なんですね。
広大無限な人生にどこか恐れを抱きながらバラバラの個人として生きている。
それでもエゴは人生を見つめて幸せになろうとする。そして、エゴは決して幸せが見つけられない場所で幸せを探し続けるのです。
「外側」には、永遠に続く本当の幸せなど存在しません。外側で見つけた喜びはどんなものでも一時的なものであり必ず通り過ぎていくのですから。
「あらゆる現象は来ては去って行く」ブッダは2500年以上前にそう言っていました。
私たちが抱く「自分」という感覚がどのような仕組みになっていてエゴがどのように創られているのかをよく理解することは非常に重要なのですよ。
繰り返しますが、少なくとも基本的にはエゴは頭の中の創りものなのです。ですから、あなたが「これが私だ」と思っていても、まさに、単に そう「思っている」だけなのです。「これが私だ」と信じるように教え込まれたのですね。
自分に対する信念、考え、評価などの集合体を個人としての「私」として頭の中で創り出しているのです
自分の本質が何なのかなど気にしたことがない人はこの話を聞いて驚くでしょうね。本当の自分は決して頭で考えられるものではないのです。
「これが自分」と思っているもの、「これが誰々」と思っているもの、「これが世界」と思っているもの、それは全て文字どおり「思っている」だけであって単なる思考に過ぎないのですよ。
このように、私たちが「思考中毒」と言えるほど思考をガッチリと抱え込んでいたり、さらに思考と自分を混同していることがあらゆる苦痛や悩みの根深い原因なのです。

【基本原理3,4】本当の自分への目覚め
あなたの意識の中心が本当の自分であり、すべての起点です。自由や平和、そしてスピリチュアルな目覚めも「外側」ではなく自分の中に在るのですよ。本当の自分を「知っている」と思わないで「自分とは何なのか?」と問いかけること。これがまずは最も大切な第一歩なのです。
心を開け放って「私が自分だと思っているものは本当は自分ではないかもしれない」「自分とは何なのか?」そう問いかける意志を持つことです。
スピリチュアルの道を歩む人たちはよく「スピリチュアル・エゴ」を創り上げます。「スピリチュアル・エゴ」とは、基本的にスピリチュアル探求者で自分が探し求めているもの、たとえば神、覚醒、幸せ、自己実現、平穏などに対するイメージを抱きいわゆる「スピリチャルな人」になります。
スピリチュアル探求者になると私たちは 自由や幸せを手に入れるために「何かを探求しなくてはいけない」「どこかへ到達しなくてはいけない」という思考パターンを創り上げます。
第2の基本原理は「エゴは頭の中の創りもの」でしたね。分離意識に囚われた信念を土台にして延々と繰り返す思考パターン。
「神も 平穏も 幸せも 愛も 自分とは別のものだから手に入れなくてはいけない」
このエゴの信念が私たちの苦しみや悩みの大きな原因でありスピリチュアリティーにおいて真っ先に消し去るべき幻想なのです。
スピリチュアルの教えは、エゴ意識から脱出して本当の自分がいったい何なのかを知り
新しい認識にシフトするチャンスを私たちに与えてくれるものなんですよ。
ちょっと立ち止まって「私が自分だと思っている『私』は本当の自分ではないのでは?」と問いかける意志からすべてが始まります。
自分のことをいい人だとか悪い人だとか、価値があるとか無いとか、スピリチュアルな人だとか、探求者だとか...どのように思っていようが、分離意識から感じていることは、すべてが単なる作り話なのです。
「これが私」という確固たる自己イメージを「本当にそうなの?」と疑う好奇心を持つことがスピリチュアルの目覚めと幸せや平和の実現のために絶対的に重要なポイントなのです。

さて、第3の基本原理はこうです。
本当の自分に目覚めることでエゴ意識から解放される
意識的なスピリットとして、本当の自分に目覚めることによって、自由と真実のすべてを知ることができるのです。
エゴ意識から解放されるなんて、すごく難しいことでかなりの努力や年月が必要なんじゃない?と、 みなさんは思っているでしょう。
でも、ちょっと思い出してみてください。エゴとは何だったでしょうか?
エゴとは単に、分離意識による信念を土台にして延々とリピートするひとりよがりな思考パターンであって実体など無いのですよ。
単なる思考パターンだからこそ長年「自分」と混同していたらある意味しつこいかもしれませんね
それでも単なる思考パターンなのですから崩壊させるのは不可能ではないのですよ。
実際にはみなさんがイメージしているよりもずっと簡単でそんなに時間もかからないことでしょう。意識的なスピリットとして、本当の自分に目覚めることで、エゴ意識から解放される。これが第3の基本原理です。では、「意識的なスピリット」とは何なのかお話ししていきましょう。
エゴとは、今まで説明してきた通り、思考への中毒、執着です。
思考を取り除くことはできません。思考と戦おうとしても、思考と同じ土俵に留まり続けることになるだけで無意味なんですよ。
「思考をストップさせる」「イヤなことは考えないようにする」「自分が望むことだけを考える」こういったことがスピリチュアルの修業として、ずいぶん長い間 行われてきたのですが、そのような努力をすること自体根本的な誤解をしているということなので、結局うまくいかないのです。思考と自分を混同することで苦しみが生まれるのなら「思考を排除しなければならない」そう誤解しているわけですね。
でも、苦しみの原因は思考そのものではなく、思考を「自分」と思い込むことなのですよ。ここはしっかり理解しておかなくてはいけません。
思考と自分をゴチャ混ぜにすることが問題の核なのに、思考そのものが問題なのだと誤解して思考を止めようとしたり望ましいことだけ考えようとしたりしていたら大変なエネルギーと時間をムダにすることになりますよ。
思考が悪いわけではなく、思考と自分をごっちゃにすることが苦悩の原因なのだと気付くことです。思考と自分を混同するから分離意識が生じてエゴを創り上げるのです。
頭の中で展開していることが幻想だと気付いてくると思考は自分ではないということも分かってくるでしょう。
思考はあなたではなく、何者でもなく、単にあなたの中で起こっている現象なのです。これが基本的に理解しておくべきことですよ。
「思考は自分ではない。自分の中で起こっているだけなのに自分と混同しているのだ」と気付いて思考と戦うのを止めると本当の自分は思考が創り上げているエゴではなく他の何かなのだと気付き始めます。
それでは、本当の自分とは何なのでしょうか?
思考が自分の中で起こっているのなら、いったい何の中で起こっているというのでしょうか?
このことについて話すとき、私は「意識的なスピリット」という言葉を使います。
私たちの本質は言葉で表すことができません。形もなく見ることも触れることも出来ません。
なので、「スピリット(精神/魂)」という言葉を使っています。スピリットは存在するけれど形の無いものですからね。
そして、「意識的な」と言うのはなぜかと言うと、ここが大切なところなのですが、私たちはみんな、ある意味、意識がありますよね。
では、何を意識していますか?
さきほど話したように、ほとんどの人は、意識を思考と混同していて、夢を見ているような状態なのです。それでエゴが出来上がっているわけですね。でも、思考は自分ではないと分かってくると、私たちの意識は自然と意識自体へ戻って来るのです。
本当の自分という、言葉で表せない存在が意識を取り戻し始めます。
あなたは いつでも常に「スピリット」であり、言葉で表せない存在なのです。そうでなかった瞬間など今までだって一度も無いのです。
本当の自分以外になんてなれるわけがないでしょう?
本当の自分でいることを中断することなんてできないのですから、今までもこれからも、いつでも常に本当の自分でしかないのです。
だけど、それを意識できていないことはあるのですね。
本当の自分に気付いていないとエゴを自分だと思ってしまうわけです。
ですから、私たちが目覚めて自分は思考が創っている自己イメージではなく実はスピリットなのだと気付くと、その瞬間、スピリットに意識が戻るのです。スピリットが言葉で表せない意識ある存在としてスピリット自らを意識するのです。
ほとんどの人は本当の自分がスピリットだなんて教えられることはなく、特定の個人なのだと教えられますよね。
どこで生まれたとか、どういう経歴があるとか、どんな性格だとか、男か女かとか、そういう定義が「自分」だと教えられます。
自分も他の人もあらゆる存在が本当はスピリットである。そんなふうに教えられて育つ人はほとんどいないでしょう。
私たちが本当の自分を知り本当の自分に目覚るためにスピリチュアルの教えがあるのです。
本当の自分であるスピリットがスピリット自らに気付いて意識を取り戻すこと。それが、スピリチュアルの目覚めなのです。

では、第4の基本原理に行きましょう。
目覚めた価値観
目覚め後の価値観は道徳的な価値基準とは違います。私たちは、良いこと、悪いこと、正しいこと、間違っていることなど道徳的な価値基準や競走に勝つこと、成功すること、何かを獲得することなどの人生における物質的な価値観も教えられますよね。
特にアメリカの社会や西洋文化では何かを獲得すること、たとえば多くの物を所有すること、お金を増やすこと、たくさんの経験を積むこと、より美しくなったり、美貌をキープすることなどにとても大きな意義が与えられます。
そして、文化が変われば物質面も 道徳面でも価値観は多少変わりますね。
目覚め後の価値観は道徳的な価値基準とは違って「こうすべき」という判断に基づいたものではありません。
目覚め後の価値観は私たちの本質にもともと内在しているのです。
私たちが意識的なスピリットとして本当の自分に目覚めると同時にその内在した価値観にも気付き始めます。
新たな道徳観を得るというわけではなく、スピリットがもともと持っている価値観に気付くということですよ。これはとても重要なことです。そうでないと世間で教えられたエゴ的な道徳観や価値観に囚われたままになってしまいます。人はみんな「価値がある」と信じていることを指針にして生きていくものですからね。
エゴは競走に勝つことや賛同してもらうこと、愛されることなどに価値を置きます。
また、コントロールすること、被害者になること、加害者になること、人を責めたり批判したり何かを激しく非難することなどに価値を感じるエゴもあります。どちらにしても、エゴは「分離」に価値を置くわけですね。エゴの価値観はどんなものでも分離意識が土台になっているのです。
しかし、目覚めたスピリットの価値観はまったく違います。
誰かに教え込まれるものではなく私たちの本質がもともと持っていて自然と気付くものなのです。「真実」は私たちの本質が持つすばらしい価値観なんですよ。真実に生きること。真実であること。それから「調和」。調和とは つまり真実なのです。真実においてはすべてが ひとつなのですから。私たちの目には、あらゆるものが違っていて個性があるように見えますが、その奥に隠れている本質はやはりスピリットなのです。あらゆる全てであるスピリットが自らを表現しているのです。
あなたが見るもの聞くもの体験すること、意識的な存在であろうとひどく無意識な存在であろうとすべてがただひとつのスピリットの現れでありそれ以外のものなど何も存在しないのです。
目覚めたスピリットはこのワンネス・調和に価値を置き、そして、「自由」に価値を置きます。自分のためだけではなく、あらゆる存在のために。
それから、平和、感謝、愛。いま挙げたのは私たちの本質が持つ価値観のほんの一部なんですよ。私たちの本質は根本的な「善」なのです。すばらしいことですよね。
善といっても世間的な道徳観で考えるような「悪」に対する「善」ではありませんよ。
そうではなく、私たちの本質にもともと内在するもっと深いものです。
とは言っても私たちが目覚めたら「聖者」のようになるわけではありませんよ。
人々が目覚めに対して抱いているイメージは実態とは違ってひどく歪められているのです。
ですから私たちは本当の自分・真実を知るために自己イメージだけではなく目覚めや覚醒にまつわるイメージもすべて手放さなければなりません。
自分の本質に内在する価値観を知ることで私たちはスピリット自らの表現である、あらゆる存在とつながることができるのです。
私たちが自分の本質に目覚めてそこに内在する価値観にしっかり気付き始めると私たちはその価値観に導かれ、この世界での在り方、周りとの関わり方、日常生活での生き方などがまったく新しいものにシフトしていきます。
その価値観に従おうと考えるわけではなく自然とそうなるのですよ。すばらしいことですよね。
さあ、これで私の教えの基本原理を4つとも話しました。

次は、いま話した教えをあなたが自分で実感するため、実際に目覚めるためにどのように活用すればいいのか話していきましょう。

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