2014年1月25日土曜日

アジャシャンティ「基本実践」

つづきです。
ブログ「Down The Rabbit Hole」http://rabbithole0.blogspot.jp/2013/08/blog-post_10.htmlより


基本実践1】すべてをあるがままに
「スピリチュアルの教えをどのように活用すればいいの?」「目覚めのために 実際どうすればいいの?」
このような疑問に対する答えはスピリチュアルの教えの中で何より重要なところなので、今回は最も基本的な実践方法を3つお話ししたいと思います。

1つ目の実践方法は静かにじっとしていること
これはとてもシンプルだけれど、非常に深く、自分で実践することが大変重要なものなんですよ。
静かにじっとしていることとはどういう意味でしょうか?
昔から長い間ずっと言われ続けている、非常にシンプルな教えですね。
これをどんな意味に受け取るかは人によってさまざまですが、私の場合は「すべてを あるがままにしている」ということを具体的な方法として教えています。

「静かにじっとしていること」この教えを実践しようとすると多くの人は、たとえば瞑想をする場合、思考を落ち着けようとしたり、静けさや平穏が感じられる場を探したり、何らかの修業のように取り組むでしょう。
自分の内面をコントロールしようとする感じですよね。私はそんなやり方を「操作」と呼んでいます。
過激な言い方に聞こえるかもしれませんが、まさに「操作」なのです。
「静かにじっとしていること」この教えを実践するためには、真の静けさを見つけなくてはいけません。
真の静けさは意図的に作り出せるものではないのですよ。どのようなコントロールや操作をしても決して見つけられないのです。
真の静けさは私たちの自然な状態なのですから、作り出す必要などないのですよ。
すでに ここに在るから気付いていないだけなのです。
私たちの本質がすでに完全な静けさで完全な平穏なのですが、思考に囚われていたらそれに気付けないでしょう。
エゴを自分と混同していると静けさは作り出さなければならないものだと思い込んでしまうのです。
前回の私の教えの基本原理についてのビデオでエゴは頭の中で創られた単なる思考パターンだとお話ししましたよね。
エゴとは私たちの中で起こっている現象であり私たちはエゴではないのだということが分かり始めるとまっさらな空間が現れます。
エゴとは基本的に繰り返しの思考パターンであり、そういう意味では私たちの中の雑音なんですね。
静けさの中に鳴り響いている雑音なのです。そして静けさは私たちの本質が持つ特性です。
私たちの本質であるスピリットは言葉で描写できず色も形もないのですがとてもイキイキとした存在です。
私も あなたも 誰でもみんな本質はスピリットなんですよ。そしてスピリットは、すでに、いつでも静かにじっとしているのです。
すべてをあるがままにしている」というのはスピリットの特性のひとつ、スピリットが やっていることのひとつです。
とは言っても、それは実は「行為」と呼べるものではありません。すべてをあるがままにしているためにあなたは何も「する」必要がないのです。それどころか、「行為」は、やめなくてはいけません。絶え間なくいつもいつも、何かを「しよう」「しよう」とする衝動を手放すのです。あらゆる「行為」は「すべてをあるがままにしている」ことに反することなのですから。
「すべてをあるがままにしている」ことができていない限り、エゴ意識から目覚めることがとても難しくなるのですよ。
ですから、「すべてをあるがままにしている」という、ごく基本的な教えは非常に重要なのです。
なかなか実践できない人が多いでしょう。すべてをありのままにしていることをエゴは恐れますからね。
エゴはすべてをあるがままにしていたら「大変なことが起こってしまう」あるいは「一切何も起こらなくなってしまう」
そう思っているのです。でも実際にはその恐れは両方ともハズレなんですよ。すべてをあるがままにしているとすばらしいことが起こり始めるのです。
あなたが今ここで私が話しているのを見たり聞いたりしながら頭で分析したりせず過去に学んだ内容と比較したりせず、ただ見るまま、聞くままに任せてみてください。
賛同したり拒絶したりするのは後にして、今この瞬間、ただ見るまま聞くままに完全に任せていることができますか?
そしたら どうなりますか?
すべてをあるがままにしているというのは、何かを「しよう」とすることではありません。
さっきも言ったように、すべてをあるがままに「しよう」とすると逆効果なのです。「しよう」として出来ることではありません。
ただ ありのまま安らいでいることです。すべてをあるがままにしているという教えは誤った解釈をされていることもとても多いのです。
無気力になるかのような意味に捉えたり、物事にうまく対処できなくなると考えて不安に思うのですね。
しかし、そのような不安を抱くということは、教えそのものを誤解しているということです。
すべてをあるがままにしていることは、最終目的ではなく、真実に生きるための土台なのですよ。
この土台があってこそ、人生の一瞬一瞬や毎日の生活の中で、賢明で適切な言動が「起こってくる」のです。
すべてをあるがままにしている。その状態になって初めて、エゴ意識から脱出できるのであって、いまここの出来事に抵抗して何とかしようとしている限り、条件付けされたエゴ意識から抜け出すことは決して出来ないのですよ。
すべてをありのままにしているという教えはエゴではなくスピリットによる鋭い洞察や適切で賢明な言動が「起こってくる」ための土台を培うようなものなのです
また私はすべてをありのままにしているということを「瞑想」としても教えています。
瞑想だけではなく、何にでも適用できるんですよ。
試してみれば人生のいろんな出来事に対して今まで想像もできなかったような賢明な対処ができるようになるでしょう。
しかし瞑想と言えば、やはり、とても多くの人々が自分の内側で何かをコントロールをしたり操作するようなテクニックを使っていますよね。スピリチュアリティーの意義は、ありのままの自然な状態、つまり私たちの本質に目覚めることですが、そのように何かをコントロールしたり、操作をするような瞑想法では目覚めることは出来ないのですよ。
不自然なことをやって、自然な状態が得られることはありません。
すべてをあるがままに、自然なままにしていることによって、私たちの本質はいまここに現れるのです。
時間は関係ありません。習得するべきものもないし、上達させるべきものもありません。必要なのは確かめることです。
みなさんに考えていただきたいのはここの部分なんです。
この1番目の実践方法どおり、すべてを ありのままにしているとき、「どうなるのだろう?」と確かめてください。
あなたが静かに座って瞑想しているとき「いま、すべてをあるがままにしていてどうなるのだろうか?」と確かめてください。
内側でどんな変化が起こりますか?何が見えてきますか?
どうなるのかだけではなく、「いま本当に すべてをあるがままにしているかな?」とも確かめてください。
なぜなら静けさが現れていてもそのように確認することで自分が微妙に何かを握りしめたりコントロールしようとしている微細な動きに気付いてさらに深い安らぎが訪れることがあるのです。
ですから、この教えを達成するべき目的というよりも問いかけに使ってください。
すべてをあるがままにしている状態を達成しようとしないことです。「しよう」とするということはこの教えをきちんと理解していないということになりますよ。
この教えによって、自分の状態を確かめてください。それが瞑想になるのです。
すべてをあるがままにしていることは、エゴが完全に手放される最も深い瞑想です。
あなたの思考も気分も感情もいまこの瞬間のすべてを完全にあるがままにしていることはできますか?そうするとどうなりますか?
初めに話したことの繰り返しになりますが、すべてをあるがままにしていることで、あなた本来の自然な状態である静けさが現れるのです。これが「静かにじっとしていること」という教えに帰結しますね。
すべてをあるがままにしていることが静かにじっとしているための方法、そして静けさに気付いて本当の自分に根付くための方法なのです。
静けさは、私たちの本質の主な特性です。「そうなろう」としなければならないものではなく、文字どおり、私たちの一部なのですよ。
以上が1つ目の実践方法です。

【基本実践2】私は誰? 
2つめは、これです。問うこと
さきほど話した1つめの実践方法は完全にリラックスした状態になるための誘導のようなものでしたが2つめの「問うこと」は、少し自発的・積極的になる必要がありますよ。
愛や真実と繋がるためのものであり、リアリティーへの切望であり、私の教えの中でもより大きな動きを伴う部分です。
私は誰? 私とは何?」これが私たちにとって究極的で最も深い問いです。
私たちがエゴの夢から目覚めるまで、何よりもしっかりと取り組むべき重要な問いなんですよ。
一方、「私は何を求めているの?」「私はどうなりたいの?」このような疑問は「私は誰? 私とは何?」という問いほど重要なことではないのです。
なぜなら、そんなふうに何かを求めたり探したりしているのは、いつも「私」ですよね。
「私」の正体が何なのか知らないまま、その他のことが本当に分かるわけがないでしょう。
いまここでこの画面を見て、この話を聞いているあなた、その「あなた」として生きている存在。
それが何なのか、本当に分かっていないと、人生で最もすばらしい贈り物を受け取れないことになるのですよ。
ですから、「私は誰? 私とは何?」この問いは私の教えの中でも最も重要な部分です。
他のどんな教えについても言えることですが「どのように」実践するかもとても大切なポイントですよ。
これは単に頭で考えられるようなことではないのです。
この問いに対して、頭であれこれ考えてどこかで見聞きしたイメージを引っ張り出してきたりしたら、まと外れなことになってしまいます。そんなことをしても、思考に浸ることになるだけですからね。
「私は誰? 私とは何?」この問いは、あなたをエゴが創り上げている夢の世界から脱出させる手段なのです
これはとてもシンプルなのですがかなりの着実さが必要です。
そして「どのように」問うかをきっちりと理解しておかなければなりません。
私とは何か?」こう問うとき、しっかりと自分を見てください。
「『私』と言っているものは何なんだろう?」
ほとんどの人にはここで、いろんな考えが浮かんでくるでしょう。
記憶、身元、自己イメージ、性別、世代、年齢、性格、鏡に映る姿などすべては頭の中にあるものですね。
でも、もっとしっかりと深く追求してみてください。ここで いますぐに。 
自分だと思っているものはすべて単に「思っている」だけだと分かるでしょう。
思考の産物ですね。その思考は意識の中で起こっています。あたなの中で起こっているのですからそれは「あなた」ではないのです。
あなたは 思考よりも言ってみれば一歩手前にあるということですよ。
私たちは「私の思い」とか、「私は考えている」とか、「こんな考えが私に浮かんだ」などと言いますよね。
「私」と「思考」は同じものではないということですよね。
この問いは、意識と思考の狭間の夢うつつ状態や自己イメージから私たちを目覚めさせてくれるのです。
「私とは何なのか?」と問うことで自分は思考よりももっと根底的でより親密なものだと気付くでしょう。
「私」だと思っていたイメージを除外すると何が残りますか?
何らかの感情や感覚があるという人もいるでしょう。
しかし、感情や感覚もあなたのすぐ側で起こっている現象に過ぎず、あなたという意識によって感知されているものなんですよ。
あなたが誰なのか・何なのかを知る手がかりにはなりません。
では、さらに深く探ってみましょう。
「私の中で、思考や感情や感覚が起こっているのなら、その『私』って何なの?」「いまこの話を見聞きしている『私』は いったい何?」
思考や感情や感覚をアテにしなければあなたは誰なのでしょうか?
瞑想のように静かにこの問いかけをしてください。
するとムダにあれこれ考えたりせず、自分という直接体験から答えを見つけることになるでしょう。
それが、この問いの大きな力なのです。
覚えておいてください。ここがいちばん大切なポイントですよ。あなたの最も深いところを探らなければなりません。
頭で考えて答えを出そうとしないことがこの教えを実践する上で非常に大切です。
この問いによって思考や感情から離れて自分という意識の奥底へ、深く深く入っていくことです。
「私は頭の中に浮かぶ思いや考えではない。思考は刷り込まれた条件付けに過ぎない。私は感情や感覚でもない。これらはすべて広大な私の中で起こっているだけだ。それなら、私はいったい何なの?」深く誠実にしっかり問うと静けさに辿り着きます。
言葉に出来るような答えは見つからないでしょう。
もしも、言葉に出来る答えが出てきたら、それは間違いですよ。答えは意識の次元だけに現れるのですから。
思考や感情が自分ではないと分かり始めると、自分は思考や感情を内包している「意識」なのだと気付いてくるでしょう。これが、この問いの大きな力です。
もちろん、「意識」というのも言葉ですから、「意識」という言葉にとらわれているとこの教えの全てを根本的に誤解してしまうことになりますよ。
自分という直接体験によって知る「私」は言葉を遥かに超越しているのですが、ここでは何らかの言葉で説明しなくてはいけないので「意識」や「スピリット」という言葉を使っているだけです。
私たちは描写できるものではありません。形も大きさも香りもなく言葉にできないけれど確かに存在しているので私は「意識」や「スピリット」と呼んでいるのです。
意識がいまこの瞬間も存在していて機能していることを否定できないでしょう?
仮にあなたが「いまここに意識など存在しない」と否定したとしても私の話を聞いて否定したという事実が意識がいまここに存在するという証拠になりますね。
そのようなことは意識なしには起こりえないことですから。
「私は誰? 私とは何?」このように問うことで、あなたは考えるのではなく、逆に思考から抜け出すのです。
この点が非常に重要ですね。そして、その答えをあなたはいますぐ知ることが出来るんですよ。
むしろ、いましか知ることが出来ないのです。
スピリチュアルの教えを何十年も学んでいる人でもまったくの初心者でも同じです。どれだけ長く学んでいるかなど関係ないのです。
自分の本質への目覚めはいつでもいまこの瞬間、いまこの瞬間だけに可能なのです。
目覚めは長年の修業によって起こるのではなくいまここの深い問いによって起こるのです。
他の問い方も有効なんですよ。私が勧めているもうひとつの問いはこれです。
これは本当に真実だろうか?
エゴ意識はいつもいろいろ考えたり想像したりしてそんな真実でもない信念や意見をもとに行動しますよね。
信念や意見は、結局単なる信念であり単なる意見です。
どちらも頭の中の思考であって真実ではありません。
ですが、頭の中の思考を本当に価値のある真実だと信じてしまうと私たちは幻想の世界で生きることになるのです。
私たちの思考は、時には実用的で便利な場合もあるかもしれませんが、究極の真実は含まれていません。
あなたの意見も信念もひとつとして究極的には真実でも現実でもないのです。
だからといって、信念や意見を持つなというわけでありませんよ。
信念や意見を持つことは仕方ないでしょう。
でも、どんな信念も意見も真実ではないと知ることによってとても自由になれるのです
エゴ意識は、「意見を持たなくてはいけない」とか、「信念を持つべきだ」などと言って思考に執着しているでしょう。
信念や考えや意見を基盤にした世界でしかエゴ意識は存続できないのです。信念や考えや意見はエゴ意識で生きる人々の指針のようなものです。自分や他人に対する信念や考えや意見がエゴ意識による夢遊状態の実体とも言えるでしょう。
そしてそれが、あなたを本当の自分やあらゆる存在の真実、存在そのものの真実から引き離すのです。
「これは本当に真実だろうか?」この問いはどんな状況でも使えるのですよ。
「この考えは本当に真実だろうか?」「これは本当に確かだろうか?単に思い込みだったり、信じているだけじゃない?」
そう見抜いて、別の信念や意見にもとらわれなければどうなりますか?
自分の考えであっても、他のどんな意見であっても、あらゆる考え、信念、評価、不満などが真実ではないと見抜くことはできますか?
これは、苦悩や葛藤から自由になって、愛や思いやりや感謝に満ちた、まったく新しい生き方にシフトするために非常に重要なので
すべての人にお勧めしたいことです。愛、思いやり、感謝、そして、どんな思考も遥かに超越する叡智。
問うことによって、そこへアクセスできるのです。さきほど説明したように、シンプルにしっかりと問いかけるのですよ。

【基本実践3】意識的に生きる
3つめは、意識的に生きること
意識的に生きることは、基本原理で話した「目覚めた価値観」と関わってきます。簡単におさらいをしましょう。
エゴ意識の価値観は、目覚めた価値観とは違って、分離意識 つまり、基本的に「恐れ」が土台になっています。 
エゴの世界観では、自分は、世界や他人とはバラバラで孤独で、広大無限な宇宙の中のとてもちっぽけな存在なので、根っこに「恐れ」があるのですね。
ですからエゴ意識は、ほとんど自分では気付いていなくても分離を土台にした価値観を持っているのです。
エゴは「対立」にも価値を置いているんですよ。自分が対立を重視しているなんて、思ってもいないエゴも多いでしょうけど事実そうなのです。
対立に価値を感じているから、被害者意識を持ったり、人を批判したりするわけですね。
そして エゴは、コントロールすることも重視していてコントロールを手放すことを非常に恐れています。
もしコントロールを手放したら、望み通りにいかなくなったり、安全ではなくなると思っているのです。このようにエゴは分離意識に基づいた物事や考え、信念に価値を置いています。
いま話しているエゴの価値観は、道徳的な価値基準というわけではなくただ、エゴ意識そのものが、重要だ・必要だと感じて握りしめているものですよ。一方、目覚めた意識の価値観はエゴ意識とは対照的です。
繰り返しますが、道徳的な価値基準ではなく、目覚めた意識、つまり意識的なスピリットそのものが何を重要だと感じているかということですよ。
意識的なスピリットは、「真実」に大きな価値を置いています。どんな状況でも、どんなことについても、何が本当に現実なのか、何が本当に真実なのかを重視するのです。
自分の考えを主張したり、議論に勝とうとしたりしません。ただ、何が本当に現実で何が本当に真実なのか。これは、目覚めたスピリットがとても大切にしていることです。意識的なスピリットは、「調和」も尊重しています。
あらゆる存在の本質が同じスピリットであり、すべてが究極的にはひとつであることを意識的なスピリットは知っています。
この洞察があるから調和をとても尊重するのです。同時に、「自由」を尊重します。自分だけではなく、すべての存在の自由です。
つまり、意識的なスピリットは、誰のことも、何に対しても、批判したりコントロールしたり、支配しようとしたりしません。
すべての存在が自由であることを尊重しています。
それから 「平和」。もし人々が口先だけではなく、本当に平和を尊重していたら、この世界に平和を創り出すでしょう。
でも実際は、平和を尊重するというのは建前だけで、行動が伴っていません。
それは人々が、自分の本質に気付いていないからなんですよ。
意識的なスピリットとして、自分の本質に目覚めたとき初めて、私たちは自然に本当に平和を尊重するようになるのです。
平和は私たちの本質にもともと備わっている特性なのですから。
そして 「感謝」。人生や存在、すべての人や物に対する感謝。あらゆるすべてが、ありのままであることへの感謝。
意識的なスピリットは幸せになるために何も変える必要はなく、すべてはそのままでいいのです。
想像してみてください。すべてがそのまま・ありのままで幸せなのですよ。
エゴの視点から見ると、幸せになるためには、いろんなことが変わらなければならいでしょう。
エゴは「過去を変えたい」「もちろん現在の状況も変えたい」「未来だって変えたい」などと言って、あらゆることが変わってくれたら幸せになれるかも...と思っているのです。
しかし、スピリットは、もともと幸せと感謝に満ちていて、ありのままに感謝し、ありのままの人生と存在そのものに価値を感じているのです。
スピリットはもちろん「愛」にも価値を置いています。愛は調和を実体験として知ることで自然と生まれるものです。
私たちは別々の存在ではありません。人間としての現れにおいて、個性はあるでしょうが、本質的には、私たちはひとつです。
このことに気付くとすばらしい愛が生まれるのです。あらゆる存在をものすごく親密に感じます
人生は私たちの本質の現れだと分かります。人生の広大無限さは、私たちの本質であるスピリットの現れなのです。
このことに気付くと、リアルな実感として、毎日のどんな瞬間にも人生で出会うどんな存在にも、深い愛ととても強い親密さ・親近感を感じるのですよ。
繰り返しますが、道徳的な価値基準ではありません。スピリットにとって、もともと価値のあるものであり、これは文字どおり、
私たちの本質の現れなのです。真実、調和、自由、平和、感謝、愛。
この目覚めた価値観が本当の自分の本質なのですから、そういう価値観に「なろう」とする必要はないのです。
「なろう」とするのはエゴ的な観点です。この価値観は、本当の自分の真ん中から、自然と現れてくるのですよ
「すべてをあるがままにしていること」と「私とは何なのか問うこと」を通して目覚めることが最も重要なことです。
そして、意識的に生きてください。
この目覚めた価値観は、外側から取り入れなくても、内側で発見できるのですよ。あなたの本質なのですから。
「静かにじっとしていること」と「問うこと」を通して、この目覚めた価値観を持った本当の自分を発見するのです。
スピリットは決して、分離意識、つまり恐れ・批判・コントロールなどを土台にして生きません。真実、調和、自由、平和、感謝、愛
この価値観をもとにスピリットは生きているのです。
繰り返しますが、この価値観はエゴが努力して身につけるべきものではなく、あなたの本質がもともと持っているもので、あなたによって発見されあなたによって生きられるのを待っているのですよ。「意志的に生きること」とはこういうことです。
スピリットがもともと持っている価値観を発揮して生きることです。
本当の自分はスピリットだと気付けばこれは簡単にできるでしょう。
そして、意識的に生きることは自分だけではなく、全世界にとっての幸福につながるのですよ。真実の愛の表現です。

さあこれで基本的な実践方法を3つお話ししました。
最初にも言ったように、基本が最も重要です。みなさん複雑で難しい教えを求めますが、基本は見失いやすいものです。
今回話した基本的な実践方法や前回話した基本原理よりももっと複雑な教えもありますが、それでも最も大切なのは基本なんですよ。
家と同じですね。土台がしっかりしていないと家は倒れてしまうでしょう。
もっと複雑で細かい教えもあるけれど、スピリチュアルの教えは、基本が98パーセントです。
スピリチュアルの教えに慣れてくると基本はもういいから新しいことを学びたいと思うかもしれませんが、絶対に基本から動かないでください。決して基礎から離れてはいけません。
なぜなら、この基本の中に、この基礎的な真実と原理の中に、とてつもなく深く微細で核心的な叡智と愛、そして目覚めの実現が含まれているのです。この、ごくごく基本的な教えの中に真実と存在の神聖さを発見するための生きた啓示が隠れているのです。ですから、基本から決して離れないでください。
正直に、誠実に、意志と愛をもって実践すれば、この基本的な教えが、あなたを今まで想像もできなかった世界に連れていってくれるでしょう。


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