2013年2月10日日曜日

マハーシ瞑想法が、アーナーパーナで指導しない理由


 マハーシ大長老がヴィパッサナー瞑想に関する質問に答えたQ&A集がウ・コーサッラ西澤師によって訳出され、日本テーラワーダ仏教協会HPにて、PDF本として配布されています。その中に、マハーシ瞑想法では、アーナーパーナ(出息、入息)で指導しない理由が紹介されています。


質問25  
   マハーシ瞑想法では、なぜアーナーパーナ(出息、入息)で指導しないのですか?


答え  
 私はアーナーパーナ(出息、入息)で瞑想することは風の要素、色とそれを念じている心、名によってヴィパッサナーの智慧が生じると理解しています。しかし、清浄道論によると身随観の部十四種をサマタ瞑想法とヴィパッサナー瞑想法を分けて、アーナーパーナ(出息、入息)を以下の様にサマタ瞑想法として分類しています。
…(略)…
今述べた清浄道論においてアーナーパーナ(出息、入息)をサマタ瞑想法とはっきりと分けています。もし私たちがアーナーパーナ(出息、入息)を指導したら、それを好まない人たちが上記の清浄道論を基に私たちが指導しているのをサマタ瞑想だ、ヴィパッサナー瞑想ではないと非難するのは間違いありません。私たちも清浄道論を否定しヴィパッサナー瞑想だということはできません。ですから私たちはアーナーパーナ(出息、入息)をヴィパッサナー瞑想として指導していません。
…(略)…
もう一つはアーナーパーナ(出息、入息)で瞑想するとき鼻の先など一ヶ所に集中しなければなりません。内に入っていった息を追って瞑想してはいけないと無碍解道論と清浄道論にはっきりと述べられています。それらは著者の意図として近行定、安止定を想定したものです。ヴィパッサナーの智慧が生まれるようにするためには一つの場所だけを念じなければならないという制限はありません。しかし、アーナーパーナ(出息、入息)をしているときに別のところに感覚などが生じてきたり、考えなどが生じたときにそれらを念じるよう指導したならば無碍解道論と清浄道論に反する、間違っていると非難されるのは確実です。ですから私たちはアーナーパーナ(出息、入息)でヴィパッサナー瞑想を指導せずにいます。これぐらいでなぜアーナーパーナ(出息、入息)を指導しないのかという質問の答えになったでしょう。

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